創建の由来
八溝嶺神社の創建は景行天皇40年、日本武尊が陸奥に巣食う賊を攻め入る際、山頂に石祠を創建し、その佩剣を添えて、大己貴命、事代主命の二神を奉斎し、戦勝を祈願したことに始まるとされています。この神殿は古くから病難災害を除き、四海昇平、五穀豊穣、大願成就の神として、広く信仰されてきました。
奈良末期から平安時代
奈良末期から平安時代にかけて、八溝山を中心に広い範囲で金山発掘が進められ、良質の金が大量に産出されました。この金は836年(承和3年)に遣唐使派遣の有力な財源となり、朝廷から「黄金神」の勅額を授けられると共に、延喜式内社に列せられました。
江戸時代の保護
江戸時代には水戸藩の保護を受け、社領20石が与えられました。これにより、八溝嶺神社は更なる発展と信仰を集めることとなりました。
日輪寺
八溝山の中腹、八合目付近には日輪寺があります。坂東三十三観音霊場第21番札所として知られる古刹です。
アクセス
八溝嶺神社へのアクセスは、茨城県久慈郡大子町の八溝山の山頂に位置するため、登山が必要です。公共交通機関を利用する場合、JR水郡線常陸大子駅からバスを利用し、登山口まで行くことができます。また、自動車で訪れることも可能で、山頂付近までの道路が整備されています。