歴史と背景
創建と発展
佐竹寺は、元々は稲村神社の北にある洞崎の峰に位置しており、観音寺と称されていました。天文12年(1543年)に兵火に見舞われ、3年後の天文15年(1546年)に現在の場所に再建されました。この再建は佐竹義昭によって行われました。
建物の特徴
本堂は茅葺き屋根の寄棟造であり、桁行5間、梁間5間の主屋の周囲にこけら葺きの裳階をめぐらし、正面中央には唐破風をあげています。元禄時代には大規模な改造が行われ、堂内の6本の柱を抜き、床を取り去り、格天井を設け、窓や戸口の周囲を改造して裳階を付けるという工事が行われました。このように、桃山時代建築の先駆としての特徴が残されています。
本尊真言
おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌
ひとふしに千代をこめたる佐竹寺 かすみがくれに見ゆるむらまつ
佐竹氏との関わり
佐竹寺は、佐竹氏の祈願所として栄えました。関ヶ原の戦い後、佐竹氏が秋田に移封された後も、寺の繁栄は続きましたが、徐々にその運命は衰えていきました。本尊の十一面観音像は安産や厄除けなどの御利益があるとされ、多くの巡拝者が訪れる古刹として知られています。
本堂
本堂は室町時代後期(1467年-1572年)に建立された重厚感あふれる茅葺き寄棟造りの建物です。桁行五間、梁間五間、主屋の周囲にはこけら葺きの裳階がめぐらされています。正面には唐破風が設けられ、窓や柱、梁などに桃山建築の意匠が見られます。
これらの特徴から、本堂は1906年に国の重要文化財に指定されました。佐竹氏代々の祈願所として、またその建築様式からも、非常に貴重な文化財として位置付けられています。
山門(仁王門)
山門は昭和15年(1940年)に再建されましたが、安置されている金剛力士(仁王)像は宝永年間の作とされています。寺務所は山門を入って右側にあり、納経所も兼ねています。
その他の建物
往時を偲ばせる建物は本堂のみが現存していますが、当時の隆盛を物語る遺構が随所に見られます。これらの建物は、佐竹氏の歴史と共に寺の発展を示す貴重な資料となっています。