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鷲子山上神社

(とりのこ さんじょう じんじゃ)

県境に分かつ、フクロウと歴史が紡ぐ霊山

栃木県と茨城県の県境に鎮座する鷲子山上神社は、フクロウの神社として広く知られています。天日鷲命を主祭神とし、日本一の大フクロウ(不苦労)が祀られ、古くから人々に崇敬されてきたこの神社は、豊かな自然と歴史を背景に、多くの参拝者を魅了しています。

神社の概要

鷲子山上神社は、栃木県と茨城県の県境にまたがる珍しい神社であり、参道や本殿の中央部を県境が貫いています。境内には栃木県と茨城県の社務所があり、宮司もそれぞれ奉職しています。

主祭神と信仰

主祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)で、フクロウの神社として信仰を集めています。フクロウは「不苦労」や「福老」の意味を持ち、苦労を運び去り幸福をもたらす鳥とされています。

自然環境と境内

境内の面積は鷲子山一帯の約22haで、そのうち2haは原生林です。自然環境保全地域に指定されており、貴重な動植物を観察できる生きた博物館としての役割も果たしています。

日本一の大フクロウ像

鷲子山上神社のシンボルとして、日本一の大フクロウ(不苦労)像があります。この像は、多くの参拝客が苦労を運び去り幸福を呼ぶフクロウにあやかろうと訪れます。

フクロウの信仰

フクロウは古くから神様のお使いとされ、「不苦労」や「福老」、「福来郎」として信仰されています。境内には日本一の大フクロウ像をはじめ、さまざまなフクロウのモチーフが設置されています。

千年杉と紅葉

山には樹齢1000年ほどの千年杉があり、老樹大木が生い茂っています。秋には、天然林の紅葉と神社との調和が美しい景観を楽しませてくれます。

歴史

鷲子山上神社は、大同2年(807年)に矢又村(現・栃木県那須郡那珂川町矢又)の大蔵坊宝珠上人が阿波国から天日鷲命を勧請したのが始まりとされています。当時の社名は「鷲権現」でしたが、後に鷲子山上神社に改称されました。

歴史的背景

鷲子山は古代から常陸国と下野国の国境であり、修験道の修行場としても名高く、厚い信仰を集めてきました。江戸時代には徳川家光や源頼朝など、多くの歴史的人物がこの神社を訪れています。

県境の神社としての特徴

鷲子山上神社は、栃木県と茨城県の両方に属する珍しい神社であり、境内の中央を県境が貫いています。社務所は栃木県側と茨城県側でそれぞれ別にあり、平常時は栃木県側の宮司が神社を維持管理し、祭礼の時のみ茨城県側の宮司が奉仕します。

宗教法人としての登録

宗教法人としての登録は栃木県・茨城県双方にあり、形式上は2つの神社として存在しています。鳥居の前には「ここが県境」と書かれた看板が立ち、本殿の中央を県境が貫いていることが確認できます。

信仰と祭り

祭神は天日鷲命、大己貴命、少彦名命の3柱であり、それぞれ産業振興の神、縁結び・福徳・金運の神、医薬・難病克服・酒造の神として信仰されています。例祭は4月17日、夜祭りは11月16日に行われ、古くからの祭儀を伝えています。

フクロウの神社としての信仰

鷲子山上神社は「フクロウの神社」として知られ、境内には日本一の大フクロウ像やフクロウの石段、フクロウのお守りなどがあり、多くの参拝客が訪れます。

現代の氏子地域

栃木県側が那珂川町矢又と大那地、茨城県側が常陸大宮市鷲子です。祭りの時期には、多くの人々が参拝に訪れ、神社の伝統を守り続けています。

境内

鷲子山上神社は、栃木県那珂川町と茨城県常陸大宮市の県境に位置し、標高470メートルの山頂にある神社です。自然豊かな環境に囲まれ、四季折々の美しい景色を楽しむことができます。古くから霊峰とされ、その境内全域が現代の言葉で言われる「パワースポット」や「スピリチュアルスポット」として広く知られています。

本殿

本殿は三間社流造で、屋根は銅板葺きとなっています。棟札の記録には、天文21年(1552年)、元亀2年(1571年)、元亀4年(1573年)、寛保3年(1743年)に再建修復が行われたことが記されています。現在の本殿は天明8年(1788年)に築かれたもので、益淵武衛門・町井藤衛門の両棟梁と彫物棟梁の石原藤助によって建てられました。彼らは現代の栃木県芳賀郡市貝町の出身で、日光東照宮の流れをくむ宮大工です。

本殿の間口は約6.97メートル、奥行は約6.36メートル、軒高は約5.61メートル、棟高は約9.1メートルです。装飾には多くの彫刻が施され、特に庇周りの彫刻や柱に取り付けられた獅子・象・麒麟をあしらった懸鼻が特徴的です。この本殿は「関東地方における社殿の彫刻装飾の流れを知る上の重要な遺構」とされ、茨城県と栃木県の指定有形文化財(建造物)に指定されています。

随神門

随神門は三間一戸の楼門で、文化12年(1815年)の建立です。町井六左衛門と町井新之丞が棟梁を務めました。2階には長押や高欄が取り付けられていない部分があるものの、組物や軒回りには他に類例が少ない手法が用いられています。1階の正面両脇には随神像、背面両脇には仁王像が安置されています。随神門も本殿と同様に県境をまたいでおり、茨城県と栃木県の指定有形文化財(建造物)として登録されています。

鷲子山上神社のカヤ

境内には樹齢600年のカヤの木があります。このカヤは樹高25メートル、根回り6.9メートル、幹回り5.5メートルの大きさを誇ります。随神門の右手に案内看板があり、そこから急坂を下るとカヤの木に到達します。カヤの枝の張り出しは南側の方が良く、幹の伸びや根元の張りも優れています。このカヤは茨城県の天然記念物として指定され、周囲には保護のための柵が設けられています。

六地蔵

六地蔵は平成2年に御殿正面のスロープ工事の際に発見されました。明治時代の神仏分離令により埋められていたことが判明しました。特別なパワースポットとして、多くの参拝者が月参りに訪れる場所です。

奥山稲荷

奥山稲荷は伏見稲荷大社を勧請した神社で、防災・芸能・五穀豊穣・商業の神として信仰されています。平成26年に大那地氏子によって整備され、「きつね像」も奉納されました。

大黒社

大黒社は開発・健康・縁結びの神である大黒様を祀っています。七福神の一つとして商売繁盛や幸福の神として信仰されています。古くから強いパワーのある場所として信仰されています。

三社

三社では風神、雷神、古峯神社の神々が祀られており、五穀豊穣・国家安泰・商売繁盛を願う神様として信仰されています。

羽黒社

羽黒社は出羽三山から遷座されてきた神様で、古来、現在の御本殿の地に存在していました。現在の御本殿が作られた際、その地を移して現在の位置に祀られています。

三本杉社

三本杉社では、11月に当社で最も重要な「夜祭り」が行われます。夜の祭りは古儀に則り行われ、素晴らしい伝統のお祭りとして知られています。

千年杉

山には樹齢1000年の杉を始めとして老樹が茂り、多くの人々がその「霊気」を感じるために森林浴に訪れます。千年杉の直径は2メートル20センチ、周囲は8メートルです。

楼門(左大臣・右大臣)

楼門(随神門・安養閣とも呼ばれます)は、文化12年(1815年)に建立され、「安養閣」の文字は権大納言重嗣によるものです。門には右大臣、左大臣の像が坐しており、令和元年に大修理が行われました。

鷲子山十景 七奇の碑

鷲子山の優れた十景と七つの不思議が記された碑です。水戸光圀公が参拝の際に選定し、徳川斉昭公が命じて碑文にしました。

手水舎

手水舎の石は、当山の「お舟石」の一部で作られたと伝えられています。お舟石とは、天日鷲命の御分霊が四国から来る際に乗っていた石船とされています。

福亀の石だたみ

楼門前の石だたみの中には、いくつかの亀が置かれています。これは参拝者の健康長寿を願ったもので、いくつあるか探してみるのも楽しみです。

水かけふくろう

フクロウは当社の大神様のお使いであり、このフクロウに水をかけることで、苦労を流し去り、多くの幸福を得ることができます。

大鳥居・県境標示

大鳥居は栃木県と茨城県をまたいで立っており、平成19年に文政9年(1826年)の古材を一部使用して再建されました。県境の標示板はデザインが分かりやすく、テレビや雑誌でもよく取り上げられています。

亀井戸

山頂にある亀井戸は涸れることなく、柔らかいご神水が湧き続けています。伝承によれば、山頂で水が出ず困っていたところ、神託により亀の形の石を掘った井戸に沈めたところ、こんこんと水が出たとされています。

伍智院

伍智院は江戸時代からの姿をそのまま残しており、当社の直営で、田舎の風情が漂う宿坊です。宿泊客は特に鷲子山の神様に感謝の気持ちを込めたお祈りをします。

ご神水・茶屋

山頂にはお茶や水を楽しめる茶屋があります。訪問者は山頂からの景色を楽しみながら、地域のお茶やお土産を楽しむことができます。

文化財

鷲子山上神社には、多くの文化財があります。天正元年(1573年)の棟札や三条実美の書、茨城県知事が奉納した扁額などがあり、歴史的価値が高いとされています。

鷲子山上神社は、自然の中で歴史と信仰を感じることができる貴重な場所です。多くの参 拝客が訪れ、フクロウの神社として親しまれています。ぜひ一度訪れて、その魅力を体感してください。

Information

名称
鷲子山上神社
(とりのこ さんじょう じんじゃ)

日立・高萩・奥久慈

茨城県