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若宮八幡宮 (常陸太田市)

(わかみや はちまんぐう)

鶴子舞が奉納される太田一郷の鎮守

茨城県常陸太田市にある若宮八幡宮は、佐竹氏の氏神として崇敬され、長い歴史を持つ神社です。境内には、樹齢500年を超える大ケヤキをはじめ、貴重な文化財や自然が数多く残されています。佐竹源氏の氏神であり、馬場八幡宮(馬場町)と対をなす太田16町の鎮守です。

歴史

若宮八幡宮は応永年間(1394~1427年)に佐竹氏の13代義仁が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して太田城中に祀ったのが始まりです。義仁は関東管領の上杉家から八歳で佐竹家に養子に入り、そのことが佐竹山入一族との約100年にわたる抗争の発端となりました。佐竹氏が関ヶ原の戦いの後に秋田に転封された際にも、当神社の神霊は城中に奉持され、その後大館八幡神社に祀られました。

宝永5年(1708年)に中山備前守によって現在の地に移され、社殿が造営されました。また、『新編常陸国誌』には「神体は絵像」とあり、僧形八幡画像が描かれています。この像は錫丈を持ち、斜め向きに座る姿で、袈裟には金泥で文様が施されています。

水戸徳川家との関わり

慶長14年(1609年)、水戸藩初代藩主徳川頼房が7歳の時に病気平癒を祈願して全快したことから、水戸徳川家の崇敬を集めるようになりました。元禄5年(1692年)には二代藩主徳川光圀(水戸黄門)が太田郷の鎮守としました。

昭和15年(1940年)には「鶴子舞」が奉納され、近年では例大祭などで「浦安の舞」「豊栄の舞」「八乙女の舞」が奉納されるようになりました。

祭神

若宮八幡宮の主な祭神は以下の通りです:

祭事

若宮八幡宮では一年を通じて様々な祭事が行われます:

文化財

若宮八幡宮の境内には貴重な文化財が多数現存しています:

境内社

若宮八幡宮の境内には以下の境内社が鎮座しています:

若宮八幡宮のケヤキ

若宮八幡宮の参道には6本のケヤキが立ち並んでいます。そのうち、鳥居をくぐったすぐ右側にある1本は茨城県の天然記念物に指定されており、樹齢はおよそ500年と推定されています。このケヤキの根回りは14.05メートル、目通りは8.35メートル、高さは約30メートルで、枝張りも約25メートルに及びます。

ケヤキは関東ローム層の土壌に適しており、公園や庭園、街路などに多く植樹されていますが、特に神社や仏閣の御神木としても広く知られています。若宮八幡宮のケヤキは、他の5本に比べてもっとも日当たりの良い場所にあったため、これほどまでに大きく成育したと考えられています。

まとめ

若宮八幡宮は、歴史と文化が豊かに息づく神社であり、多くの人々に愛され続けています。美しい境内と貴重な文化財、そして多彩な祭事が訪れる人々を魅了します。茨城県常陸太田市にお越しの際は、ぜひ若宮八幡宮を訪れてみてください。その歴史と文化を体感し、心の安らぎを得られることでしょう。

Information

名称
若宮八幡宮 (常陸太田市)
(わかみや はちまんぐう)

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