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花園神社 (北茨城市)

(はなぞの じんじゃ きたいばらきし)

歴史と自然が織りなす霊験あらたかな社

茨城県北茨城市にある花園神社は、古くから人々に信仰されてきた歴史ある神社です。その創建は、平安時代まで遡り、征夷大将軍・坂上田村麻呂が創建したと伝えられています。豊かな自然に囲まれたこの神社は、長い歴史の中で人々に様々な恵みをもたらし、信仰を集めてきました。

概要

花園神社は、征夷大将軍・坂上田村麻呂の創建とも、慈覚大師の開基とも伝えられています。境内には大杉や高野槇の老木が立ち並び、木々の緑に朱塗りの仁王門、拝殿、本殿が映える様は荘厳です。春には石楠花(シャクナゲ)におおわれ、その美しさも格別です。

子宝・安産の杉

境内に立つ古杉は、子を授かり臨月を迎えた母の姿に似ていることから『子宝・安産の杉』として親しまれ、全国から多くの参拝客が訪れます。

歴史と由緒

征夷大将軍・坂上田村麻呂の創建とも、慈覚大師の開基とも伝えられています。桓武天皇御代の延暦14乙亥年(795年)4月18日、坂上田村麻呂が勅定により奥州下向の折に霊夢によって創建したと伝えられています。

大同2年(807年)4月には花園山と号づけられ、平城天皇より勅額が掲げられ満願寺を開闢しました。天長年間(824年~834年)には円仁(慈覚大師)が東国に頭陀の折、当山に修行し、貞観2年(860年)に満願寺を再興しました。

源義家との関わり

前九年の役(1051年)や後三年の役(1083年)において、源頼義・源義家が参拝し誓願書を納めました。これらの戦役に際しても、山王幡と源氏の白旗を神社に納め

前九年の役(1051年)において、源頼義・源義家が参拝し誓願書を納めました。後三年の役(1083年)にも清原武衡・清原家衡を討伐する折、お使い神の猿が義家に憧幡一旒を授けました。勝利を得て上洛の時にこの山王幡と源氏の白旗は、神社に納め、社殿を建立しました。

江戸時代の発展

承応2年(1653年)、奥州棚倉城主・内藤摂津守が御分霊を城外に祀り花園大権現を建立。また、徳川幕府からも信仰され、慶長7年(1602年)には徳川家康の社頭領五十石の御朱印を寄進されました。

神仏混淆時代と明治以降

神仏混淆時代には境内に多数の建物がありましたが、明治初年の神仏分離により満願寺は廃止され、諸堂は除却されました。古くは花園山大権現・日吉大権現と称され、明治初期からは花園神社と称されています。明治9年(1876年)には神庫が焼失し、一切の史籍は失われてしまいました。

花園神社と七ツ滝

北茨城市華川町花園にある花園神社から奥の院を目指して花園渓谷を登ると、「七ツ滝」があります。七ツ滝はその名のとおり、一ノ滝から七ノ滝まで七段にわたって流れ落ちています。特に四ノ滝の滝壺は深く、竜宮や亀磯に通じているといわれています。

滝壺にはアワビが生息しており、それが花園神社のご神体と信じられていました。ある時、徳川光圀がこの話を耳にし、滝壺の水底を確かめようと訪れました。光圀に命じられた家来が滝壺に潜ると、大きなアワビが行く手をふさいでいました。家来は命からがら逃げ戻り、光圀はそれ以上の探索をあきらめました。

花園神社の縁起

花園神社には次のような縁起が伝えられています。昔、七人の兄弟姉妹の神様がいました。その中の姉神と妹神が神聖な地を探し求め、花園川に沿って腰越峠までやってきました。疲れた姉神を休ませ、妹神はさらに山の奥へと入りました。しかし、妹神は姉神を迎えに行くのを忘れてしまいました。妹神を祀ったのが花園神社で、姉神を祀ったのが仲坪の王子神社です。仲坪では、姉神の「待つほどつらいものはない」という思いを汲み、松を植えなくなったといわれています。

境内の見どころ

本殿

御祭神三柱を祀る社殿で、三猿の彫刻があります。木造銅板葺権現造の本殿は天保3年(1832年)に建替えられました。

拝殿

祭典・祈祷等を行う社殿で、神猿が護ります。木造銅板葺権現造の拝殿は嘉永4年(1851年)に建替えられました。

楼門

清浄な領域の境となる結界の役割を果たす門で、山王大権現の額が掲げられています。木造銅板葺二階建権現造の楼門は寛政4年(1792年)に建替えられました。

神楽殿

御神輿・祭具が納められ、不動明王が祀られています。木造銅板葺朱染の神楽殿です。

厳島神社

神池の中にある社殿で、市杵島姫神・田心媛神・湍津姫神の三柱を祀っています。この地に女神が現れ神池を造り建立されたとの言い伝えがあります。

御神木(三本杉)

周囲8m・樹高50m・樹齢推定800年の古木です。地上10mで三本の幹に分かれ、御祭神三柱を現すと伝えられています。

こぶ杉

子を授かり臨月を迎えた母の姿に似ていることから、「子宝・安産の杉」として親しまれています。

神猿(まさる)

神様のお使い(神使)であり、魔除け・勝運を運んできてくれるとされています。境内には14体の神猿が祀られています。

七つ滝・奥之宮(奥之院)

花園神社から奥の院を目指して花園渓谷を登ると、「七つ滝」があります。七つ滝は一ノ滝から七ノ滝まで七段にわたって流れ落ちています。

祭神

花園神社の祭神は以下の三柱です:

伝説と物語

花園神社には様々な伝説や物語が残されています。例えば、七つ滝の四ノ滝の滝壺は深く、竜宮や亀磯に通じていると信じられており、徳川光圀もこの話に興味を持ち、滝壺の探索を試みました。

また、花園神社の縁起には、七人の兄弟姉妹の神様の物語が伝えられています。姉神と妹神が神聖な地を探し求め、妹神が花園に最適の地を見つけましたが、姉神を迎えに行くのを忘れてしまいました。妹神を祀ったのが花園神社で、姉神を祀ったのが仲坪の王子神社です。

その他の境内社

境内には以下の境内社があります:

Information

名称
花園神社 (北茨城市)
(はなぞの じんじゃ きたいばらきし)

日立・高萩・奥久慈

茨城県