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十二所神社(大子町大子)

(じゅうにしょ じんじゃ だいごまち だいご)

伝統的な祭事、蒟蒻神社など地域に根ざした神社

茨城県大子町大子に鎮座する十二所神社は、古くから地域の人々に親しまれてきた神社です。神武天皇以前の神々を祀り、豊かな自然に囲まれたこの神社は、長い歴史と深い信仰の歴史を持っています。

概要

日本各地に「十二所神社」と称する神社がありますが、大子町内にも大子、上岡、内大野、下金沢の4地区に存在します。

祭神

十二所神社の祭神は、神武天皇より前の日本神話の神々である天神七代と地神五代です。

歴史

社伝によると、奈良時代の727年に創建され、その後、戦国大名の佐竹義宣の寄進による社殿改築や、水戸藩第2代藩主徳川光圀からの除地の供与などがありました。明治時代には村社、供進指定社に格付けされましたが、1910年に火災により建物・財産の一切を焼失してしまいました。その後、一旦は現在の大子町立だいご小学校のある場所に再建されましたが、現在地へ再移転しました。

境内の様子

常陸大子駅前商店街に面した大鳥居をくぐり、「百段階段」と呼ばれる参道を上ると、だいご小学校を右手に見ながら進んだ先に拝殿・社務所があります。境内には、江戸時代後期に粉こんにゃくを発明した中島藤右衛門を祀った「蒟蒻神社」があります。

景観と評価

高台にある境内からは、真下に町並み、遠くには奥久慈の山々の四季折々の姿が望めます。このような景観と歴史が評価され、1950年に選定された茨城百景の中の「大子町の史跡」にも含まれています。

祭神と信仰

十二所神社の祭神として祀られているのは、天神七代、地神五代と称される以下の12代17柱の神々です。男女1対の対偶神は2柱で1代と数えます。

天神七代の神々(7代12柱)

地神五代の神々(5代5柱)

十二所神社の歴史

創建と発展

社伝によると、奈良時代の727年(神亀4年)に地域の開発守護神として創建されました。その後、慶長の初めに戦国大名の佐竹義宣の寄進により社殿が改築され、1689年(元禄2年)には水戸藩第2代藩主徳川光圀から除地が供与されました。

近代の変遷

1910年に発生した火災で社殿や神宝が焼失しました。翌年から再建の動きが始まり、参道と大鳥居が整備されました。1916年に社殿の再建が始まり、1918年に現在の場所に遷座されました。また、1927年には水郡線の開通を記念して政治家根本正の胸像が境内に設置されました。

戦後の発展

1950年に社務所が竣工し、1952年には「宗教法人十二所神社」として登記されました。同年から翌年にかけて拝殿の改修が行われ、1959年には結婚式場として2階建ての建物が建設されました。2005年の春季例大祭からは「大子ぶんぬき祭り」として盛大に行われるようになりました。

祭事とイベント

年間祭事

十二所神社では年間を通じてさまざまな祭事が行われています。

御出社と大子ぶんぬき祭

「御出社(ごしゅっしゃ)」は、4年に1度行われる神輿の巡行を伴う祭りです。神輿が町内を巡行し、町内会の屋台が練り歩きます。2005年の御出社からは「大子ぶんぬき祭り」として屋台とお囃子の競演が行われるようになりました。

百段階段でひなまつり

2008年から毎年、百段階段を活用した「百段階段でひなまつり」が開催されています。百段階段に雛人形を飾り、観客が階段を登りながら鑑賞するイベントです。大子町の特産品であるリンゴを使ったアップルパイの販売や花嫁行列なども催され、毎年多くの観客が訪れます。

キャンドルナイト

2012年から始まったキャンドルナイトは、七夕やハロウィンの時期に行われます。百段階段にキャンドルを配置し、立体的な灯りのアートを楽しむことができます。商店街ではライブやバザーも開かれ、賑わいを見せています。

境内社と境外社

境内社

境内には三峯神社と蒟蒻神社があります。蒟蒻神社は、江戸時代に粉こんにゃくの製法を発明した中島藤右衛門を祀っています。4月上旬に行われる春季例祭では無料 のこんにゃくおでんが振る舞われます。

境外社

愛宕神社は、大子町の愛宕地区にある末社です。火防の神カグツチを祀っており、5月3日に祭りが行われます。かつては愛宕神社は十二所神社に合祀されていましたが、火災が頻発したため、現在地に遷座し直されました。

その他の碑

境内には聖徳太子塔があり、職人たちが技術の向上と商売繁盛を祈念して建てた碑です。

Information

名称
十二所神社(大子町大子)
(じゅうにしょ じんじゃ だいごまち だいご)

日立・高萩・奥久慈

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