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吉田山 薬王院

(よしださん やくおういん)

古くから吉田神社の神宮寺として栄えた古刹

茨城県水戸市にある薬王院は、平安時代に創建されたと伝えられる天台宗の寺院です。本堂は国の重要文化財に指定されており、歴史と文化を感じさせる荘厳な建物です。常陸三の宮である吉田神社の神宮寺として栄え、地域の人々に深く信仰されてきました。

歴史と創建

薬王院の創建は平安時代初期、桓武天皇の勅願により伝教大師 最澄が大同2年(807年)に創建したと伝えられています。関東唯一の青蓮院直末の天台寺院であり、江戸時代まで常陸第三宮 吉田神社の神宮寺として時の権力者や領主の庇護を受けて栄えました。

江戸時代には薬王院は徳川光圀の妻 泰姫の菩提所とされ、水戸藩主 徳川光圀の帰依を受け、天和二年(1682年)には本尊 薬師如来の修復が行われ、貞享五年(1688年)には本堂が再建されました。青蓮院の法流(三昧流)をくむ直末寺として復しました。明治以降、薬王院は菩提寺としての役割を果たし続けました。

境内の見どころ

本堂

薬王院の本堂は室町時代の大永7年(1527年)に焼失し、その後享禄2年(1529年)に再建されました。江戸時代の貞享3年(1686年)には水戸藩主徳川光圀によって大修理が行われました。昭和41年(1966年)に重要文化財に指定され、昭和43年(1968年)には解体修理が行われました。本堂は茅葺型銅板葺入母屋造で、その堂々たる姿は室町期の建築手法を今に伝えています。

本堂の右手には樹齢500年の銀杏の木、左手には樹齢150年の堂々たるクスノキが聳えています。

仁王門

仁王門は江戸時代に建立され、県指定重要文化財に指定されています。寄棟造り萱葺きの八脚門で、仁王像を安置しています。規模は桁行6.8m、梁間約6.4mで、低い基壇の上に建っています。正面には連子窓が設けられ、その中に木造の金剛力士像が安置されています。門扉はありませんが、貞享年間(1684年~1688年)に建立されたものと思われます。

金剛力士立像

仁王門に安置されている金剛力士像は、一木造、彫眼、古色であり、阿形像の高さは210.7cm、吽形像の高さは216.0cmです。両肩、両手首、両足先などを矧付けるほかは、体幹部を一材から彫り出しており、忿怒の表情と穏やかな上半身が特徴です。南北朝から室町時代前半頃の作と考えられています。

四脚門

四脚門は、本柱2本の前後に控柱が2本ずつある構造で、側面から見て妻が見える切妻造です。現在の屋根は本瓦葺であり、貞享(1684年~1687年)以降の絵図に描かれていることから、江戸時代中期の建造物とされています。彫刻や垂木の反りなどに江戸時代中期の特徴的な手法が見られます。

五輪塔

五輪塔は、松平亀千代丸の供養塔であり、江戸時代作の水戸市指定重要文化財です。高さ約2.4mのこの石塔は、寛永5年(1628年)に4歳で早逝した松平亀千代丸のために建立されました。遺骸はのちに光圀によって改葬され、五輪塔は一時土中に埋められましたが、昭和46年に復元されました。

本尊と仏像

薬師如来

薬王院の本尊である薬師如来は、茨城県指定文化財に指定されています。

十二神将像

薬王院には十二神将像もあり、も茨城県指定文化財となっています。

文化財

重要文化財(国指定)

薬王院の本堂は室町時代後期の享禄2年(1529年)に建立されました。この本堂は桁行7間、梁間5間、一重、入母屋造、茅葺形銅板葺であり、地方的な様式を濃厚に持ち、室町時代の建築文化の様相を知る重要な遺構です。昭和41年(1966年)6月11日に重要文化財に指定されました。

茨城県指定文化財

仁王門、薬師如来像、十二神将像が茨城県指定文化財に指定されています。

水戸市指定文化財

松平亀千代丸五輪塔が水戸市指定文化財となっています。

Information

名称
吉田山 薬王院
(よしださん やくおういん)

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