自然の植物園としての佐白山
佐白山へは笠間稲荷神社から徒歩約15分でアクセス可能です。標高182メートルで、笠間盆地の中央にそびえ、豊かな自然に恵まれた山です。数百種もの植物が自生しており、自然の植物園としても知られています。特に、佐伯山麓公園での紅葉観賞はおすすめです。
概要
佐白山は笠間盆地の中央に位置し、全山が樹木に覆われています。そのため、多様な植物が自生しており、その数は数百種にも及びます。かつては信仰の対象となり、白い雉、白い鹿、白い狐が住むとされ「三白山」と呼ばれていました。白雉2年(651年)には、真言宗の「三白山三白寺」が山頂に建立されたと伝えられています。
笠間城
鎌倉時代に笠間城が築城されたため、多くの神社や寺院が移転または破却されました。江戸時代には笠間藩の藩庁が置かれ、現在も堀跡や石垣など城の遺構が残っています。これらの遺構は笠間市による調査や保存が行われ、城跡公園として整備されています。
佐白山の歴史と自然
佐白山は笠間県立自然公園の一部であり、西麓には笠間城下屋敷跡に整備された佐白山麓公園があります。春には桜、秋には紅葉が美しく、また、笠間つつじ公園のツツジも見どころです。これらの公園は笠間市民の憩いの場となっています。
山中には、「大黒石」という笠間城以前に存在した寺院の争いについての言い伝えが残る史跡があります。さらに、佐白山の歴史と関りが深い玄勝院や正福寺といった寺院も点在しています。山麓には笠間日動美術館や笠間芸術の森公園があり、文化施設も充実しています。
佐白山城趾公園
佐白山は鎌倉時代から明治維新の藩籍奉還まで続いた笠間城が存在した場所です。笠間城は、佐白山の自然の険しさを利用した関東では珍しい山城でした。城跡の様子は現在も残っており、山頂が天守台跡となっています。無料の駐車場から山を登っていくと、トンネル、四季折々の木々、笠間城の土塁や石垣、山頂の神社(天守閣跡)などを1時間ほどかけて見て回ることができます。
笠間日動美術館
笠間日動美術館(かさまにちどうびじゅつかん)は、1972年(昭和47年)11月に東京・銀座にある日動画廊創業者、長谷川仁・林子夫妻によって創設されました。日本を代表する画商の系列美術館であり、山岡孫吉(ヤンマー創業者)が収集した洋画コレクションも加わり、西洋の近代、日本の近・現代の巨匠が描いた絵画を中心に3千点を超す所蔵品があります。
中でも、国内外の著名画家が愛用したパレット画コレクションは、長谷川が親交を深めた画家たちから譲り受けた340余点という世界に例のない美術史的にも貴重なコレクションとなっています。
佐志能神社
佐志能神社(さしのうじんじゃ)は、茨城県笠間市笠間にある、佐白山の「笠間城跡」に鎮座する神社です。延喜式神名帳の佐志能神社(常陸国新治郡。小社)の論社であり、旧社格は村社です。
東日本大震災による被害のため、佐志能神社を含む笠間城天守曲輪跡は立入禁止区域となっていましたが、現在は実質的に立ち入り可能となっています。
概要
佐志能神社は佐白山の山頂(182.1メートル)にある笠間市指定有形文化財「笠間城跡」の天守曲輪跡に鎮座しています。笠間県立自然公園の一部(城跡公園)であり、中近世の城址であるとともに景勝地でもあります。「笠間稲荷と佐白山」として「茨城百景」および「いばらき森林浴の道100選」に選定されています。
佐白山の由来と伝承
佐白山は「三白山」「佐城山」「佐志能山」とも表記され、城址であることから「お城山」という通称もあります。常陸国風土記には、新治郡と那賀郡の郡境に位置する「大山」として描かれています(新編常陸国誌)。
佐白山の由来については、正福寺の伝承では、山の神使が「白馬、白鹿、白雉」(笠間市の説明では「白い雉、白い鹿、白い狐」)であることから「三白」の山名が生まれたとされています。『新編常陸国誌』によれば、「佐代公」は「(伊)曾志乃公」の意であり、「曾」が「佐」に転訛して「佐志能」となり、さらに「乃」が「呂」に転訛して「佐代(佐志呂)」になったとされています。
中世以降、佐白山では「百字の坊舎」の乱立、笠間城の築城、宇都宮明神の勧請といった重大な変化が起こりました。現在の佐志能神社は、元は阿武山に鎮座していましたが、笠間城築城のために西麓の下市毛村に移され、明治維新後に旧地に復したとされています。そのため、鎌倉時代から江戸時代末にかけては佐白山の沿革から離れていました。
一方、中近世の笠間城に関する資料には「三社大明神」「三所大明神」「六所権現」「佐白三社」「佐白山三所大明神」といった社名が登場し、現在の佐志能神社、式内社の佐志能神社、中近世の佐白山の社寺との関係は複雑なものとなっています。