美しい四季と花々に彩られる寺院
正福寺のある佐白山は、春には約3万本のツツジが咲き誇り、秋には菊花が香るなど、四季折々の美しい景観を楽しむことができます。特に、春のツツジは圧巻で、多くの観光客や参拝者がその美しさを求めて訪れます。
本尊・千手観音菩薩について
正福寺の本尊である千手千眼十一面観世音菩薩は、諸願円満のご利益を持つとされています。観音経には、民衆に抜苦与楽(ばっくよらく)をもたらし、信心深い者を速やかに救うと記されています。近年では、縁結び観音とも称され、多くの人々が良縁や仕事、学業など様々な縁を求めて参拝しています。
本尊真言とご詠歌
本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか
ご詠歌:夢の世に ねむりもさむる 佐白山 たえなる法や ひびく松風
正福寺の歴史
正福寺の創建は、651年(白雉2年)に遡ります。伝承によれば、猟師の粒浦氏が佐白山中で千手観音を感得し、その像を彫刻したことが寺の始まりとされています。当初、寺は三白山と号していました。
佐白山
佐白山は笠間盆地の中央に位置し、全山が樹木に覆われています。そのため、多様な植物が自生しており、その数は数百種にも及びます。かつては信仰の対象となり、白い雉、白い鹿、白い狐が住むとされ「三白山」と呼ばれていました。白雉2年(651年)には、真言宗の「三白山三白寺」(現在の正福寺)が山頂に建立されたと伝えられています。
鎌倉時代に笠間城が築城されたため、多くの神社や寺院が移転または破却されました。江戸時代には笠間藩の藩庁が置かれ、現在も堀跡や石垣など城の遺構が残っています。これらの遺構は笠間市による調査や保存が行われ、城跡公園として整備されています。
正福寺の江戸時代から明治時代への変遷
江戸時代には、笠間城内の「千人だまり」という場所に正福寺の建物が存在していた記録が残っています。しかし、明治初期の神仏分離や廃仏毀釈、修験宗廃止令の影響により、多くの寺院と同様に正福寺も衰退を余儀なくされました。この混乱の中、本尊は民間に売却され、他の仏像は笠間城の届出所や佐白公園内の寺院に移されました。
その後、檀家総代であった石井家の協力を得て、正福寺再建のための勧進が行われ、1930年(昭和5年)4月15日に現在の地に新たなお堂が建立されました。この際、他の仏像も再び移転され、寺院としての機能を取り戻しました。
独立と現在への歩み
勧進を行った寺院の住職は、新たに建立されたお堂を「佐白観音堂」と称し、寺院の飛び地境内地として登記しました。後に、1983年(昭和58年)に寺院として独立。寺号を観世音寺に変更し、曹洞宗系の単立寺院として歩み始めました。さらに、2012年(平成24年)には、次期住職の手により、本来の寺号であった正福寺に改称され、現在に至っています。
文化財の紹介
正福寺には、茨城県指定の文化財として「木造佐白観音(千手観音)坐像」が安置されています。