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水戸八幡宮

(みと はちまんぐう)

樹齢700年のイチョウや、築400年余りの本殿が趣のある水府総鎮守

茨城県水戸市に鎮座する水戸八幡宮は、古くから地域の人々に親しまれてきた神社です。正式名称は「八幡宮」です。古くは白旗山(しらはたやま)八幡宮、または白幡山八幡宮と呼ばれていました。豊かな自然に囲まれ、歴史ある建造物や文化財を数多く有しています。創祀以来、水戸城主代々の崇敬社として、常陸国水府の総鎮守とされてきました。

社地は戦禍を逃れ、国の重要文化財の本殿や、国の天然記念物である御葉付公孫樹(おはつきいちょう)など、数々の文化財と鎮守の杜が保たれています。春には桜が咲き、初夏には保和苑の周辺という土地柄もあって境内には多くのアジサイが植えられており、山あじさいを中心に浜あじさい系、西洋あじさい系など約60種5,000株以上のあじさいが咲き誇ります。また、秋には紅葉・黄葉の名所となり、茨城百景、茨城観光百選、水戸百景などにも選定されています。

例祭は4月15日に行われる例大祭で、水戸黄門まつりでは神輿が渡御されます。

祀られている神々

水戸八幡宮は、応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)、神功皇后(息長足日売尊・おきながたらしひめのみこと)、姫大神(ひめのおおかみ)の三柱を祀っています。古来より、農・工・商の神、厄除・子育て・戌亥年生まれの守護神として崇敬を集めてきました。

境内の見どころ

本殿

慶長3年(1598年)に水戸城主となった佐竹義宣により建立されました。入母屋造り、こけら葺き、正面の3間の向拝を持つ、和様・唐様の折衷様式です。随所にみられる手の込んだ手法には、組物や彫刻などに桃山から江戸時代初期の時代色と地方色が混在しています。和様に唐様を混え、木割も太く意匠も大変奇抜で古式をよく伝えています。当初八幡小路(北見町)に鎮座しましたが、元禄7(1694)年に那珂西村(現城里町)に移り、宝永5(1708)年現在の地に移築されました。平成7年から平成10年にかけて全解体修理が行われ、建立当時の色、模様、金箔を施して復原されました。

拝殿及び幣殿

水戸市指定有形文化財である拝殿及び幣殿は、桁行五間、梁間三間、一重、入母屋造、銅板葺(元こけら葺)です。一間の向拝は軒唐破風付きで、二間四方の幣殿が接続しています。建立は安永4年(1775年)で、堅牢に組み立てられ、建具に至るまで当初材が良く残り、洗練された意匠を持っています。

随神門

随神門も水戸市指定有形文化財で、切妻造の四脚門です。左右に随神社が付属し、屋根はこけら葺形銅板葺です。建立は宝暦7年(1757年)ですが、随神社が奉納された享保8年(1723年)の可能性もあります。全体は素木で、波に龍の欄間彫刻には彩色の痕跡が残っています。

境内社

境内には武内宿禰神社、天満宮、水天宮、淡島神社、稲荷神社、金刀毘羅神社、二神宮、松尾神社、三島神社、石尊神社、青麻神社、稲荷神社、秋葉神社があります。

水戸八幡宮の歴史

水戸八幡宮の祭神は、文禄元年(1592年)に佐竹義宣によって、常陸太田市馬場にある馬場八幡宮から勧請されました。馬場八幡宮は天喜4年(1056年)、源頼義の凱旋にあたり後冷泉天皇が各地に勧請した石清水八幡宮の分社の一つと伝えられています。

天正19年(1591年)に佐竹義宣が江戸氏を滅ぼして水戸城主になると、翌年の文禄元年(1592年)に馬場八幡宮の分霊を水戸城中に奉斎しました。これが水戸八幡宮の創祀とされています。その後、社地を城西大坂の八幡小路(現在の水戸市北見町)に移し、慶長3年(1598年)に本殿を建立し、水府総鎮守と定めました。

水戸八幡宮の社名は、後世の水戸徳川家の寺社改革で編纂された「鎮守帳」に「若宮八幡」と記録されています。当時、社務及び六供衆(寺院)は同じく久慈郡太田村から移った光明院の社僧により管理されており、八幡宮は神仏混淆の社でした。

慶長7年(1602年)に佐竹氏が出羽久保田藩(秋田藩)に移封される際、光明院も秋田に移りましたが、水戸には水戸八幡宮及び光明院の社僧が残りました。慶長14年(1608年)には水戸徳川家の祖である徳川頼房が水戸に封ぜられ、引き続き水戸下市及び常磐村の鎮守となりました。

元禄7年(1694年)に水戸徳川家の寺社改革を受け、八幡小路から那珂西村(現在の城里町那珂西)に遷座しましたが、氏子等町民の請願により、宝永6年(1709年)に現在の社地である八幡町に再び遷座しました。

近代社格制度が始まってからは、明治6年(1873年)に郷社、明治12年7月(1879年)に県社に列格しました。平成10年(1998年)には本殿の修復工事が行われました。

水戸藩の寺社改革

寛文年間の寺社改革

水戸八幡宮が影響を受けた水戸徳川家の寺社改革は、徳川光圀の寛文年間(1661-1673年)と、徳川綱條の元禄年間(1688-1703年)の二期にかけて実施されました。寛文年間の主な政策は「寺院整理」及び「一村一鎮守制の確立」でした。

寛文3年(1663年)以降、徳川光圀により水戸藩領内の寺社調査が実施され、調査史料に基づき鎮守(神社)と各宗派(寺院)の「開基帳」(計15冊)が編纂されました。寛文5年(1665年)には寺院奉行を設置し、翌年から寺社調査に基づく大規模な寺院整理を実施しました。破却帳によれば、約6割に及ぶ1,433寺院が整理を受けました。

元禄年間の寺社改革

元禄8年(1695年)から翌年にかけて、神社からの仏教的性格の払拭を狙い、村鎮守の祭主を神官に限定すること(社僧の禁止)、神体としての仏像の禁止(鏡もしくは幣への変更)、別当の廃止、八幡社の廃止等が実施されました。追跡調査に基づき「鎮守帳」が編纂され、その神社の来歴が後世においても分析できるようになっています。

元禄年間の寺社改革の結果、105社の八幡社のうち101社が整理を受けました。内訳は廃社が6社、神名変更が86社、合祀又は摂末社としての遷座が9社でした。

文化財と遺産

重要文化財(国指定)

本殿 - 慶長3年(1598年)建立。桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、屋根はとち葺、正面一間通り庇付き。

天然記念物(国指定)

御葉付公孫樹(おはつきいちょう) - 樹齢700~800年、樹高42メートル、幹周り9メートル、雌木。

茨城県指定有形文化財

黒韋肩浅葱糸威筋兜

水戸八幡宮は戦災を免れたため、多くの文化財を所蔵しています。創建当時の姿を残す本殿は国の重要文化財に指定されており、平成10年(1998年)に修復が完了し、安土桃山時代の輝きを今に伝えています。また、境内には樹齢約700年と言われる御葉付公孫樹(オハツキイチョウ)があり、これは葉の先に実を結ぶ珍しい樹種で、国指定天然記念物となっています。さらに、拝殿及び幣殿、随神門が市指定有形文化財に指定されています。

水戸市指定有形文化財

拝殿及び幣殿
神楽殿
随神門
黒漆金銅装八角神輿
狛犬
陣太鼓

主要な祭礼

水戸八幡宮では年間を通じて多くの祭礼が行われます。以下はその一部です。

アクセス

水戸八幡宮は水戸市八幡町にあり、交通アクセスも良好です。境内は季節ごとに美しい花々や紅葉が楽しめ、訪れる人々に四季折々の自然の美しさを提供しています。ぜひ足を運んでその歴史と美しさを体感してください。

Information

名称
水戸八幡宮
(みと はちまんぐう)

水戸・笠間・ひたちなか

茨城県