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常陸第三宮 吉田神社

(ひたち だいさんみや よしだ じんじゃ)

1500年の歴史を誇る日本武尊を祀る古社

茨城県水戸市にある吉田神社は、日本武尊を祀る古社です。常陸国三宮で、地元では「吉田さん」の愛称で親しまれています。全国の日本武尊を祀る神社では最も歴史が古く、鎌倉時代には「常陸第三宮」として多くの信仰を集めました。境内には、日本武尊が東征の帰途、台地の下の海の入江で上陸し休息を取ったと伝えられる「日本武尊御着船の碑」があります。

例大祭と境内の名所

吉田神社の例大祭は10月15日、16日に行われ、現在ではその日に最も近い金・土・日に盛大に催されます。境内には光圀公お手植えの「榊」や「縁結び笹」があり、この笹の葉を結ぶと良縁に恵まれると昔から言い伝えられています。

神社の概要

吉田神社は水戸市の中心市街地の南部、小高い丘である朝日山の山上に鎮座しています。創建には日本武尊の東征との関わりがあり、武神である日本武尊を祀ることから、古くから朝廷から強い崇敬を受けてきました。戦災で焼失した社殿は再建され、現在も日本武尊にまつわる「三角山」として残されています。

祭神

吉田神社の祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)です。日本武尊は第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父であり、『古事記』『日本書紀』によると、景行天皇の命で九州や東国豪族の討伐を行ったとされています。

歴史

創建

吉田神社の創建は顕宗天皇(485年)~仁賢天皇(498年)の時代に遡ります。『常陽式内鎮座本紀』『常陸二十八社考』によれば、日本武尊が東征の際にこの地(朝日山/三角山)で兵を休ませたことに由来して、社殿が造営されたのが吉田神社の創建であると言われています。創祀年は不詳ですが、吉田神社所蔵の古文書には正安4年(1301年)に鎮座以来800余年を経過した旨の記載があります。1985年10月19日、20日に開催された秋季例大祭は創建1500年祭として行われました。

概史

国史における初見は承和13年(846年)で、従五位下勲八等の神階にある「吉田神」が名神に列したと記されています。その後、神階は天安元年(857年)に従四位下勲八等、貞観5年(863年)に従四位上勲八等、元慶2年(878年)に正四位下勲八等に昇りました。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、常陸国那賀郡に「吉田神社 名神大」と記載され、名神大社に列しています。

中世の歴史

中世には吉田社の神郡として那賀郡から「吉田郡」が分立し、吉田社の社領は158町で吉田郡の半分に及びました。この社領は荘園としての性格を強め、「吉田庄」とも称されました。また、吉田神社には薬王院を神宮寺とし、多くの付属建物や末社が存在しました。江戸時代には水戸藩から篤い崇敬を受け、特に徳川光圀は寛文6年(1666年)に本殿・拝殿ほか多くの社殿を修造し、徳川斉昭は天保15年(1844年)に『大日本史』と社領100石を寄進しました。

近代以降の歴史

明治維新後、明治6年(1873年)4月に近代社格制度において県社に列しました。昭和20年(1945年)には空襲で社殿全てが焼失し、昭和23年(1948年)に社殿が再建されました。その後も改築・修理が続けられ、現在に至っています。

神階

六国史における神階奉叙の記録では、承和13年(846年)4月17日に従五位下勲八等、名神に預かると記され、天安元年(857年)5月26日に従五位上勲八等から従四位下勲八等、貞観5年(863年)8月2日に従四位下勲八等から従四位上勲八等、元慶2年(878年)8月8日に従四位上勲八等から正四位下勲八等に昇りました。

神職

吉田社の社務は古くは吉美候氏(きみこうじ)が担っていたとされます。奈良時代初期頃に帰属した蝦夷とされ、蝦夷との深い関係が指摘されています。その後、吉美候氏は長承年間(1132年-1135年)に中央公家の小槻氏に社務職を寄進しました。寄進は在庁官人の介入や土豪の押妨から社領を守るためでした。明治以前の旧社家としては田所氏・阿久津氏・榊氏・渡邉氏・井上氏があり、現在は田所氏が担っています。

境内

吉田神社の本殿は神明造銅板葺、拝殿・幣殿は入母屋造銅板葺で、いずれも戦後の再建です。参道には「朝日三角山遺蹟」として祭神の日本武尊が休んだ場所が聖別されています。この三角山はかつて本殿が営まれた跡とも言われています。境内には神楽殿や随神門もあります。

神木 大欅(おおけやき)

吉田神社の境内には樹齢約300年の大欅があり、水戸市指定保存樹に指定されています。この大欅は戦中の水戸空襲の際に唯一残った木です。

縁結びの笹

徳川光圀公(水戸黄門)お手植えと伝えられる笹があり、利き手と反対の手で笹の葉を結ぶと良縁に恵まれると伝えられています。

摂末社

別宮

『廿八社略縁誌』には別宮として笠原大明神と酒門大明神が記載されています。

笠原子安神社(笠原大明神)

笠原子安神社は水戸市笠原町に位置し、弟橘姫と木花開耶姫を祭神としています。水戸藩祖・徳川頼房の命で現在地に社殿が造営され、安産の守護神とされています。昭和27年(1952年)に宗教 法人化され、「笠原子安神社」を称しています。

酒門神社(酒門大明神)

酒門神社は水戸市酒門町に位置し、木花開耶姫を祭神としています。

境内末社

境内には複数の末社が存在し、それぞれ異なる神々が祀られています。

六社

本殿向かって右手に位置する六社には以下の神社があります。

二社

本殿向かって右奥に位置する二間社見世棚造の簡素な社殿です。

二社

本殿向かって左奥に位置する二間社見世棚造の簡素な社殿です。

二社(皇大神宮・豊受大神宮)

伊勢神宮内宮・外宮の分社で、社殿は二間社神明造です。

稲荷神社・土師神社

『廿八社略縁誌』には稲荷明神として記載され、二間社見世棚造の簡素な社殿です。

星宮神社

星宮神社も境内にあります。

天満宮

天満宮は祭神として菅原道真を祀り、『鎮守帳』には「天神社」と記載されています。他の末社が小さな社殿であるのに対して、天満宮は中型の流造の社殿を持ち、拝所が整備されています。

祭事

吉田神社では年間を通じて様々な祭事が行われます。

文化財

吉田神社には常陸有数の神社文書があり、原本は戦災で焼失しましたが、彰考館蔵の写本が残されています。

Information

名称
常陸第三宮 吉田神社
(ひたち だいさんみや よしだ じんじゃ)

水戸・笠間・ひたちなか

茨城県