稲田御坊としての歴史
稲田御坊として親しまれている西念寺は、浄土真宗発祥の地であり、親鸞聖人がこの地に「稲田草庵」を設け、約20年間にわたり家族とともに住まい、布教活動を行っていた場所です。この地に親鸞を迎え入れた笠間郡稲田郷の領主である稲田頼重は、仏教に深く帰依した初代笠間城主の笠間時朝の叔父であり、宇都宮氏の一門にあたります。
西念寺の茅葺き山門は室町時代初期に建立され、境内には御頂骨堂、太子堂、太鼓堂、見返り橋など多くの見どころがあります。本尊の阿弥陀如来像は、1597年に宇都宮氏が断絶した際に城内から搬出され、寄贈されたものです。また、「唐本一切経」は県指定文化財に指定されています。さらに、稲田駅南側には親鸞を支えた玉日姫の廟もあります。
稲田草庵と浄土真宗の発展
西念寺は、親鸞聖人が約20年間を過ごし、聖典『教行信証』の執筆と関東布教を進めた聖地として、浄土真宗の根本聖典がここで著されたと言われています。稲田頼重は、親鸞の帰洛後にこの草庵の跡地に寺を開創し、これが現在の西念寺となっています。
親鸞聖人が東国に布教を行ったのは約20年間で、稲田の草庵を中心に広く関東から東北にかけて布教を展開しました。この草庵は、聖人の門弟たちの住所が30kmの同心円内にほぼ収まるため、布教の拠点として重要な役割を果たしていました。
寺格化と西念寺の発展
西念寺の初世である頼重房教養(稲田九郎頼重)は、草庵を念仏道場として受け継ぎました。第四世・宗慶は嘉元2年(1304年)に後二条天皇の御宇朝廷に奉達し、寺院としての地位を確立しました。宇都宮泰綱の遺命により、「西念寺」と寺号が定められました。
西念寺の伽藍と特徴
本堂内陣には、阿弥陀如来立像が須弥壇上の宮殿内に安置されています。内陣の右側には「宗祖親鸞聖人御影像」、左側には「恵信尼公御影像」が安置され、右側の余間壇上には開基「教養上人像」と「七高僧像」、左側の余間壇上には「聖徳太子像」が奉掛されています。
西念寺は単立寺院として中立性を保つため、大谷派と本願寺派の荘厳を用いています。大谷派様式には本尊の阿弥陀如来立像や卓類、具足類、輪灯瓔珞などが含まれ、本願寺派様式には宮殿、輪灯、金灯籠、隅珱珞、外陣香炉、御簾などがあります。
西念寺の文化財と見どころ
西念寺には、多くの文化財と「親鸞聖人ご頂骨堂」や「見返り橋」、天然記念物の「お葉つき銀杏」など見どころがあります。これらの遺跡や建物は、親鸞聖人の歴史と浄土真宗の発展に深く関連しており、多くの参拝者に感銘を与えています。
訪問と参拝
西念寺は自由参拝が可能であり、訪れる人々にとって貴重な歴史と文化を感じることができる場所です。茅葺きの山門をくぐり、境内に広がる樹齢800年の巨木や、親鸞が夢見た山々の稜線を眺めることで、浄土真宗の深い教えに触れることができます。親鸞聖人の歴史的な足跡をたどる旅として、ぜひ一度訪れてみてください。