歴史と創建
笠間稲荷神社の創建に関する伝承は、口碑に基づくものであり、文献による記録は残されていません。社伝によると、孝徳天皇の御代、白雉2年(651年)に、現在の地にあった胡桃樹の下に創建されたと伝えられています。
また、笠間便覧では、白雉年間に佐白山に鎮座していた六座のうちの稲荷社が、現在の地にあった胡桃樹の下に奉遷されたとされていますが、この伝承が記述されているのは笠間便覧のみです。さらに、近隣に鎮座する城山稲荷神社にも、旧址を佐白山上とする由緒があります。
当時、社地一帯は胡桃の密林であったとされています。戦前に取材された茨城県神社写真帳には、「広漠とした荒野の片野の一本の胡桃樹下」であったと記録され、新編常陸国誌には「胡桃の大木」の下であったと記されています。
笠間の地名について
『常陸国風土記』の新治郡の条には、郡から東50里に笠間村があり、越え通う山を葦穂山といい、そこにはかつて油置姫命という山賊がいたという記述があります。しかし、これは笠間村ではなく、葦穂山(足尾山)の記事です。
古地名としての笠間は、常陸国新治郡の他に、大和国宇陀郡、伊勢国員弁郡、加賀国石川郡、越前国坂井郡等にも郷名として存在します。『郷名同唱考』では、笠間の名義は不詳としながらも、大宮咩命(おおみやのめのみこと、大宮売神)に由縁のある地名ではないかと考察しています。大宮咩命は、伏見稲荷大社三座の一つである大宮能売大神としても祀られ、稲荷神として広く信仰されていますが、笠間稲荷神社の祭神ではありません。
他の地名との比較
加賀国石川県白山市笠間町に鎮座する笠間神社は、大宮売神を主神としています。また、越前国福井県坂井市丸岡町篠岡に鎮座する笠間神社(式内論社)は、主神は天照皇大神であるものの、『郷名同唱考』には大宮咩命を祀るという伝承が記されています。
さらに、『大日本史料』「執政所抄」には「宮咩奠祭文」があり、宮咩、または宮咩奠(てん)と称される祭祀における祭神として、高御魂、大宮津彦、大宮津姫、大御膳津彦、大御膳津姫の皇大神五柱と笠間の大刀自(おおとじ、天皇に仕える女官の意)の六柱が記されています。『拾芥抄』の宮祭文にも「宮咩五柱笠間」とあります。
近世の歴史
笠間稲荷神社の創建以後、江戸中期までの沿革は不詳ですが、江戸時代になると広く知られるようになり、歴代の笠間藩主から厚い崇敬を受けました。特に、三代藩主の松平康長や忠臣蔵で有名な浅野家は、笠間を離れても分霊を新たな領地で祀るなど、その信仰は篤く受け継がれてきました。
今日の笠間稲荷神社の隆盛は、井上正賢(まさかた)の頃から始まります。天明4年12月朔日(1784年)の社蔵文書には、以下のような縁起が記されています。
寛保3年(1743年)の夏、城主井上河内守正賢の霊夢に、白髪束帯の老翁が現れました。老翁は高橋町の稲荷であると名乗り、祠が狭隘で安らかでなく、里人も憂いていると語りました。正賢が驚いて目覚めると、枕元に胡桃の実があったのです。正賢は奇異に感じ、従者に確かめさせたところ、確かに高橋町に稲荷社があるということが確認されました。正賢は霊験顕著な祠があることを知らずにいたことを悔やみ、祠宇の後5歩をはじめとして、祭器や禮具を寄付し、祭事を盛んに行いました。
その数年後、正賢が江戸藩邸にいたところ、束帯の官人が胡桃子一筐(はこ)を手に訪れました。官人は胡桃下稲荷門三郎と名乗り、先年の正賢の寄付により居を広めたことに感謝し、郷人も大いに喜んでおり、私もこれに感動して、今後益々国民を保護しようと語りました。正賢はさらに神威を感じ、旗二流を奉納し、笠間においては必ず参拝し、事故があれば近侍を代拝させるようになりました。
延享4年3月19日、井上家が移封され、新たに牧野備後守貞通が笠間藩主となりました。牧野家も井上家の先例に倣い、笠間稲荷神社を祈願所と定めました。
重要文化財とその保護
笠間稲荷神社は、歴代の笠間藩主から厚い信仰を受け続けました。特に8代目藩主の牧野越中守貞直は、社殿の造営や東京別社の創建に尽力し、重要文化財としての価値を高めました。彼はまた、自筆の金文字で「稲魂」と書かれた額面を奉納し、笠間藩邸にも神霊を分祀するなど、神社の発展に寄与しました。
明治維新後、近代社格制度により旧村社に列せられた笠間稲荷神社は、以降も著名な存在として広く知られました。明治23年(1890年)には「朝顔会」を開始し、明治41年(1908年)には菊花の展示を開始しました。また、昭和63年1月13日(1988年)には、笠間稲荷神社本殿(附、棟札1枚)が国の重要文化財に指定されました。
1990年に建てられた大鳥居が2010年の地震で崩落したため、2016年に再建され、高さは以前の約8メートルから約10メートルに変更されました。
「笠間朱色」の由来
大鳥居の再建時には、拝殿の色と同じ「笠間朱色」が採用されました。この「笠間朱色」という呼称は、2013年以降に命名され、門前通りの景観整備の一環として統一感を創出するためのシンボルカラーとして定着しました。
主な建造物
大鳥居
大鳥居は神社の入口に立ち、神社の神聖さを象徴する建造物です。鳥居は神社の内外を分け、鳥居の内側が神様が鎮座する御神域として尊ばれます。
手水舎
手水舎は参拝前に身を清めるための場所です。ここで手や口を清めることで、神前に立つための準備を整えます。
東門
東門は文化13年に再建された入母屋造りの建物です。左右には奉納の毛綱が飾られています。
絵馬殿
絵馬殿は明治32年に建立され、入母屋瓦葺で柱14本の吹き抜け造りの建物です。大絵馬や奉納額が展示されています。
車祓所
車祓所では、事故を防ぐための交通安全祈願が行われています。運転免許取得日や誕生日、車の購入日などに祈願が行われます。
楼門
楼門は「萬世泰平門」と呼ばれ、重層入母屋造で昭和36年に竣工された建物です。扁額は当時の神宮祭主、北白川房子様によるものです。
社務所
社務所では、御祈祷や御朱印の受付、御祈祷の控え室、御神札渡し所などが設置されています。授乳室も利用可能です。
藤棚
境内には樹齢400年の藤樹があり、内1本の八重藤は昭和42年に県の天然記念物に指定されています。この藤は、花が葡萄の実のように集まって咲く珍しい種類です。
拝殿
拝殿は昭和35年10月に竣工され、神社建築の美と現代建築の粋を集めた豪壮かつ華麗な建物です。
本殿
本殿は江戸時代末期に名匠たちの手によって施され、昭和63年には国の重要文化財に指定されています。
末社
末社には、稲荷大神様に由縁のある神様が祀られています。
美術館
美術館は奈良の正倉院を模して建てられ、昭和56年に開館されました。中世六古窯の古陶器を常設展示しています。
聖徳殿
聖徳殿には聖徳太子が祀られており、笠間施工組合が中心となって太子講が組織されています。また、大黒天(大国主大神)や事比羅社(大物主大神)も合殿にて祀られています。
瑞鳳閣
瑞鳳閣は大正天皇御即位記念(大正6年)に建てられたもので、伊東忠太の設計によるものです。2階には、明治から昭和初期に活躍した日本画家、木村武山による鶴の天井画が施されています。元々は拝殿の東方にある藤棚付近に建設され、稲荷図書館として利用されていましたが、平成7年に現在の場所に移築されました。
祭神と祭礼
祭神
笠間稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)であり、正一位という最高の位を持つ神様です。
例祭
例祭は4月9日に行われ、創建の日とされています。
笠間の菊まつり
10月中旬から11月末にかけて、笠間稲荷神社を中心に「笠間の菊まつり」が開催されます。この祭りは、明治23年(1890年)から始まりましたが、明治41年(1908年)に現在の形に発展しました。大正2年(1913年)から全国菊花品評会が、昭和23年(1948年)からは菊人形展も開催されています。近年では、初詣と並ぶ大規模なイベントとなり、神事流鏑馬や奉納笠間示現流居合抜刀術、大和古流奉納式、舞楽祭などが行われます。
境内社
境内には以下の社が存在します:
- 聖徳殿(聖徳太子)・大黒天(大国主大神)・事比羅社(大物主大神)合殿
- 月読神社(月読尊)
- 白山神社(菊理媛命、伊佐那岐命、伊佐那美命)
- 菅原神社(菅原道真公)
- 粟島神社 (粟島大神)
- 天神社(天照大神)
- 九頭龍社(九頭龍大神)
文化財
重要文化財
- 本殿 - 万延元年(1860年)に建立されたもので、外陣(旧拝殿)と内陣(本殿)からなる複合社殿です。
東京別社とその歴史
東京都中央区日本橋浜町には、笠間稲荷神社の東京別社があります。この別社は、安政6年(1860年)に笠間藩主牧野越中守貞直によって濱町の藩邸内に分祀されました。初めは私祠として利用されていましたが、初午の日には市民の参拝のために門戸を開放されていました。
その後、明治6年12月(1873年)に現在の地に遷座され、明治11年3月6日(1878年)には庶民の参拝が許可されました。明治21年(1888年)には牧野家から笠間稲荷神社に移管され、大正12年9月(1923年)には関東大震災によって社殿が焼失しましたが、直ちに再建されました。
しかし、昭和20年3月(1945年)の東京大空襲で再び社殿が焼失し、同年12月には本殿と仮社務所が完成しました。昭和28年9月(1953年)には拝殿も再建され、昭和32年(1957年)には社務所、昭和33年(1958年)には玉垣、昭和53年(1978年)までに幣殿が完成しました。
アクセス
笠間稲荷神社へのアクセス方法は以下の通りです:
- 電車: JR常磐線「土浦駅」下車、バスで約20分、またはタクシーで約15分。
- 車: 常磐自動車道「土浦北IC」から約15分。
また、周辺には観光名所も多くありますので、ぜひ訪問してみてください。