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水戸藩らーめん

(みとはん)

中国の儒者が伝えた、黄門様が食した日本初のラーメン

水戸藩らーめんは、江戸時代に水戸藩主・徳川光圀(通称:水戸黄門)が食したとされるラーメンを再現した料理です。 「見た目はそばのようであるが、食べるとラーメン」というユニークな特徴を持ち、レンコン粉を練り込んだ独特の麺と、漢方由来の「五辛」の薬味が特徴です。

水戸藩らーめんの特徴

水戸藩らーめんは、麺にレンコン粉を練り込んでいるため、茶色く黒い点があるのが特徴です。 スープはあっさりとした醤油ベースですが、「五辛」と呼ばれる以下の薬味を加えることで風味が広がります。

また、具材には必ず肉としいたけがセットで入っており、これは陰陽五行思想に基づいた漢方医学の考えを反映しているとされています。

水戸藩らーめんの歴史

徳川光圀とラーメン

徳川光圀は、明から亡命してきた儒学者・朱舜水(しゅしゅんすい)から学び、外国文化を積極的に取り入れた人物です。 その中に中華麺も含まれており、日本で最初にラーメンを食した人物と考えられています。

当時の記録によれば、小麦粉と藕粉(ぐうふん・レンコン粉)を使用した麺に様々な粉をかけた「うんどん」のような汁麺があったとされています。 1697年には、光圀が隠居所の西山荘で、訪れた僧侶や家臣にこの麺料理をふるまったという記録が残っています。

新横浜ラーメン博物館での再現

この歴史をもとに、新横浜ラーメン博物館では水戸徳川家の葵の紋が入った椀に盛られた水戸藩らーめんのレプリカを展示しています。

日本のラーメン発祥地の論争

柳川説

朱舜水は徳川光圀に招かれる前に、長崎で柳河藩(現在の福岡県柳川市)の関係者の世話を受けていました。 そのため、日本のラーメン発祥の地は柳川であるという説も存在します。

室町時代の記録

稲澤敏行の研究によると、徳川光圀よりも200年以上前の1488年(長享2年)に、京都・相国寺鹿苑院で臨済宗の僧侶・亀泉集証が、 小麦粉とかん水を使った中華麺「経帯麺(けいたいめん)」を食していたことが判明しています。

水戸藩らーめんの再現と現代の展開

町おこしとしての復活

現在の水戸藩らーめんは、1993年に水戸市の製麺業者がバブル崩壊後の町おこしの一環として再現したものです。 この再現には、水戸藩の料理研究家・大塚子之吉が協力しました。

現代版水戸藩らーめんの特徴

また、スープの出汁や具材には鶏や豚などの肉類を使用しますが、徳川光圀は当時タブー視されていた肉食を嫌っていなかったため、 歴史的な考証としても自然な再現となっています。

提供店舗と販売状況

2009年4月時点で、水戸藩らーめんは茨城県内の9つの飲食店で提供されており、生麺を使用した袋麺タイプのインスタントラーメンも土産用として販売されています。 しかし、茨城県内でも知名度はそれほど高くないという声もあります。

県外での提供

まとめ

水戸藩らーめんは、日本で最初にラーメンを食したとされる徳川光圀の食文化を再現した料理であり、 レンコン粉を練り込んだ麺や「五辛」の薬味が特徴的です。 江戸時代の食文化や漢方思想を色濃く反映したこのラーメンは、歴史と伝統を味わえる一杯として注目されています。

Information

名称
水戸藩らーめん
(みとはん)

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