楞厳寺の歴史
楞厳寺の創建年代は不明ですが、当初は律宗の寺院として建立されました。その後、1252年(建長4年)に当地の領主であった笠間時朝によって再興され、臨済宗に転宗しました。この時、時朝は楞厳寺を菩提寺として定め、その後も笠間氏の累代の墓が境内に築かれました。境内には、多くの五輪塔が並び、歴史の重みを感じさせます。
ヒメハルゼミの生息地としての裏山
楞厳寺の裏山は、ヒメハルゼミの生息地としても知られており、その北限とされています。この裏山は国の天然記念物に指定されており、自然環境の保護にも力を入れています。自然と歴史が共存するこの寺院は、訪れる人々に深い感慨を与えます。
楞厳寺の文化財
楞厳寺山門
楞厳寺山門は、室町時代中期に建立されたとされる、禅宗様式の四脚門です。間口3.7m、奥行3.8mの規模を持ち、切妻造りの茅葺き屋根が特徴です。この門は、禅宗様式に則った簡素で素朴な造りながら、その高く伸びる主柱や、精巧な彫刻が施された木鼻など、細部に至るまで非常に優れた建築技術が用いられています。
門の正面には「竟堅門」と書かれた山額が掲げられています。楞厳寺山門は、大正6年4月5日に国の重要文化財に指定されており、その歴史的価値が広く認められています。
木造千手観音立像
楞厳寺の本尊である木造千手観音立像は、1252年(建長4年)に笠間時朝の発願により造像されました。この立像は、ヒノキ材の寄木造で、頭上に十一面を戴き、精巧な彫刻が施されています。両手には条帛(じょうはく)を掛け、裳(も)をまとい、複雑なひだの表現が特徴的です。この像は、慶派の作風を持ち、建長年間の彫刻技術を今に伝える貴重な文化財です。
像の背面には、「建長四年壬子七月 従五位上行長門守□□(藤原)朝□□□(臣時朝)」という刻銘があり、笠間時朝がこの立像を建立したことを証明しています。この木造千手観音立像は、大正9年8月16日に国の重要文化財に指定され、その価値が広く認められています。
楞厳寺の他の文化財
楞厳寺には、他にも数多くの文化財が存在します。笠間氏累代の墓地は笠間市の指定文化財として昭和53年4月25日に指定され、また、木造大日如来坐像は平成20年2月26日に笠間市指定文化財として指定されました。これらの文化財は、楞厳寺の歴史と共に、地域の文化遺産として保存されています。
笠間 時朝
笠間時朝(かさま ときとも)は、鎌倉時代の常陸国の武将であり、笠間氏の祖として知られています。宇都宮頼綱の養子となり、笠間に入部して笠間氏を名乗り、佐白山に笠間城を築城しました。武人としての活躍だけでなく、文化人としての側面も持ち合わせていた人物です。彼の功績は、現在の笠間市にも深く根付いており、笠間城跡や楞厳寺など、歴史的な名所が数多く残されています。