植芝盛平と合気道の完成
1942年(昭和17年)、植芝盛平は妻はつと共に東京から茨城県笠間市(旧岩間町)に転居し、36畳の道場と神殿を建立しました。ここで盛平は、少数の弟子と共に「武農一如」の生活を送り、『和の武道』としての合気道の完成を見ました。
この地を「合気道の産屋」と称し、合気道の聖地として合氣神社を建立しました。合気道は、心身鍛練の武道として日本古来の武術から発展したものであり、現在では世界各地に広がりを見せています。
岩間流の誕生
この時期、植芝盛平のそばで修行を積んだ弟子が斉藤守弘です。斉藤守弘は、盛平の死後も合氣神社の守人として、盛平晩年の技を伝え続けました。これが「岩間流」として知られるスタイルです。
合氣神社の修復と記念碑
2001年(平成13年)、第3代道主植芝守央と斉藤守弘によって合氣神社の修復が行われ、記念の石碑が建立されました。この石碑には、「合氣神社」の文字が刻まれており、これは盛平の弟子であり書家でもある阿部醒石によるものです。また、2009年(平成21年)には、開祖像建立実行委員会(磯山博代表)が中心となり、境内に植芝盛平の銅像が建てられました。
合氣神社の祭神と祭礼
合氣神社の祭神は、多くの日本の神々を祀っており、その一部を以下に示します。
- 須佐之男大神
- 武甕槌大神
- 経津主大神
- 猿田彦大神
- 国津竜王
- 九頭竜大権現
- 手力男命
- 天叢九鬼沙牟波羅竜王
- 家津美御子大神
- 稚産霊命
他にも、竜王、大権現、大天狗、大菩薩等、四十三柱の大神が祀られています。
合氣神社の例大祭
毎年4月29日には、合氣会主催で合氣神社の例大祭が行われます。この祭りでは、奉納演武が披露され、多くの合気道修行者が国内外から集まります。第2代道主植芝吉祥丸の死後は、開祖とあわせて慰霊祭も執り行われるようになりました。この日だけで、1500人以上の人々が合氣神社を訪れ、合気道の精神と技術を称えます。
植芝盛平の生涯と合気道の創始
植芝 盛平は、日本の武道家であり、合気道の創始者として世界的に知られています。1883年、和歌山県に生まれ、幼少の頃から武道を学び、様々な武術を経験しました。その後、独自の武道を開拓し、それを「合気道」と名付けました。相手との一体感、調和を重視し、攻撃をいなすのではなく、相手の力を利用して相手をコントロールする独特の技法が特徴です。合気道界では「開祖」と敬称されています。合気道は現在、約140の国と地域に広がり、その精神と技術は多くの人々に受け継がれています。