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水戸藩校 弘道館

(みとはんこう こうどうかん)

日本の近代教育の礎を築いた藩校

茨城県水戸市にある弘道館は、江戸時代後期に水戸藩第9代藩主・徳川斉昭によって創設された藩校です。儒学を基盤とした幅広い教育を行い、水戸学の発祥の地として知られています。

建学の精神と教育理念

弘道館は、儒学教育を中心に文武を教える教育機関として機能しました。徳川斉昭公の建学の精神に基づき、教育を通じて社会の安定と国家の発展を目指しました。

弘道館の位置づけと評価

弘道館は、現存する日本最古の学校である足利学校跡、日本最大規模の私塾である咸宜園跡、そして国宝の講堂を持つ旧閑谷学校と並ぶ近世日本の教育遺産群として評価されています。

弘道館と関連する施設

水戸市内には弘道館と同じく日本遺産に認定された施設が他に3か所あります。偕楽園、文武両道の場となった日新塾跡、そして大日本史編纂の場となった旧水戸彰考館跡です。これらも近世日本の教育に貢献した歴史的な場所として認められています。

偕楽園との関係

水戸市の梅まつりなどで偕楽園を訪れる際には、ぜひ弘道館も訪れてみてください。偕楽園は楽しむ場所として、弘道館は学ぶ場所として、二つはセットで作られたものです。

一張一弛の思想、徳川斉昭の理念

弘道館と偕楽園は、「一張一弛」という思想に基づいて造られました。この思想は、時に厳格でありながら寛容さも求める儒学の考え方です。厳格に学問に励む場所が弘道館であり、みんなで楽しむ場所が偕楽園でした。

封建社会における進歩的な思想

徳川斉昭の「一張一弛」という考え方は、当時の封建社会においては開放的で進歩的な思想でした。この理念は、多くの藩士に影響を与え、教育の重要性を広めました。

水戸学の発展 弘道館の役割

弘道館は他藩の藩士にも影響を与えた「水戸学」の拠点でした。1841年に水戸藩の藩校として開校され、学問・武芸から医学・薬学・天文学など様々な分野の教育を行っていました。その規模と内容はまさに総合大学といえるもので、徳川斉昭の教育への熱意が伺えます。

水戸学の影響

弘道館を舞台にして「水戸学」が発展し、その思想は吉田松陰や西郷隆盛など幕末の志士にも大きな影響を与え、明治維新の原動力となりました。

弘道館の館内散策 藩校当時の雰囲気

弘道館の館内は、藩校当時の雰囲気が漂っており、一歩足を踏み入れるとまるで江戸時代にタイムトラベルしたかのような気分になります。入学年齢は15歳で、入試がありました。生涯教育を重視し、卒業はなく、40歳以上になると通学は任意とされました。

館内の見どころ

訪れる方は、まるで藩士子弟になりきって館内を散策してみてください。特に「水戸の梅まつり」の時期には、満開の梅で美しい景色を楽しむことができます。

国の特別史跡 弘道館の保存と現在

弘道館は現在、一部が保存されており、旧弘道館として国の特別史跡に指定されています。敷地跡は弘道館公園として整備され、約800本の梅の木が植えられ、梅の名所としても知られています。

正門

正門は重要文化財で、本瓦葺きの四脚門です。藩主が訪れる際や正式な場合にのみ開かれました。柱には1868年の弘道館の戦いでできた弾痕が残っています。この戦火で多くの建物が焼失しましたが、正門や正庁、至善堂などは残されました。

通用門

正門の右手に位置し、先生や役人たちが出入りするための門でした。現在の来館者も通用門から入場します。

玄関

正庁の玄関であり、現在は別の場所から入館します。正面には斉昭自筆の扁額である「弘道館」と書かれたものが掲げられています。奥の部屋には水戸藩の藩医が書いた「尊攘」(尊王攘夷)の書が展示されています。

徳川慶喜の像

玄関には、徳川斉昭と彼の息子で江戸幕府最後の将軍となる慶喜の像が飾られています。慶喜は斉昭の7番目の子供であり、幼少期から弘道館で教育を受けました。斉昭は彼に大きな期待を寄せていました。

対試場

広々としたスペースで、武術の試験などが行われました。藩主は正庁正席の間から試験を観覧していました。藩主の前で試験を行うということで、受験者は緊張しながらも力を入れたことでしょう。

正庁正席の間

藩主が臨席し、学問の試験や対試場で行われた武術の試験を観覧した場所です。床の間には弘道館の建学精神を刻んだ弘道館記碑の拓本が掲げられています。

至善堂の御座の間

徳川慶喜が大政奉還後の明治元年に謹慎生活を送った場所です。ここは慶喜が幼少期に学んだ部屋であり、彼の謹慎中の心境を感じることができます。

展示品の紹介

館内のいくつかの部屋に設けられており、絵図、拓本、印鑑、写真など、貴重な展示品が多数あります。吉田松陰が水戸を訪れた際に書いた漢詩や、徳川慶喜と家族の写真なども見どころです。

孔子廟

「神儒一致」の理念に基づいて建てられ、儒学の祖である孔子を祀っています。写真では門の部分が見えますが、本殿は通常非公開です。儒学者の朱舜水が明から亡命してきたことは、水戸学に大きな影響を与えました。

鹿島神社

「神儒一致」の考えに基づいて建てられました。ここでは鹿島神宮から分霊された武甕槌命が祀られています。武甕槌命は武の神様であり、徳川斉昭の文武両道への思いが感じられます。

学生警鐘

孔子廟の西側にある鐘楼で、斉昭自鋳の鐘が吊り下げられています。鐘には斉昭自筆の和歌が万葉仮名で浮彫されています。

八卦堂

弘道館記碑が納められており、建学精神の象徴となっています。弘道館記碑は通常非公開ですが、正庁正席の間で拓本を見ることができます。

売店

館内にひとつあり、水戸藩に関連したお土産が多数販売されています。斉昭の書をプリントした手ぬぐいや、御老公の印籠など、歴史ファンには魅力的な品々です。

弘道館の沿革

創設と発展

弘道館は、1841年に完成し、水戸藩主の徳川斉昭によって水戸城内に建てられた藩校です。初代の教授頭取には会沢正志斎と青山拙斎が就任し、建物は戸田蓬軒によって建造されました。また、学校奉行には安島帯刀が任命されました。弘道館では、広範な学問と研究が行われ、文系だけでなく一部の自然科学にも取り組まれました。

教育政策

弘道館は当時の藩校としては大規模であり、水戸藩の教育政策を反映していました。特に卒業の概念を設けず、一生涯学ぶ考え方に基づいていました。出席日数の制限は家柄によって設定され、家格と実力が合致する人材の育成を目指しました。

明治維新とその後

明治維新の際には、改革派と保守派の対立が激しくなり、弘道館もその舞台となりました。徳川慶喜は一時的に至善堂に謹慎しましたが、混乱が続いたために移動を余儀なくされました。また、明治元年には水戸藩内で戦闘が勃発し、弘道館の多くの建物が焼失しました。

現代の弘道館

弘道館はその後閉鎖され、公園として整備されました。蔵書の一部は焼失しましたが、一部は関係者によって引き継がれ、現在は茨城県立歴史館が管理しています。

梅の名所

弘道館の敷地には多くの梅の木が植えられており、斉昭の詩にも「千本の梅がある」と記されています。現在でも約800本の梅が植えられ、梅の名所として親しまれています。また、偕楽園とは対になる形で造られた場所であり、心身の保養の場としても知られています。

建物の紹介

正庁

正庁(学校御殿)は弘道館の管理棟で、文館や武館とともに配置されています。至善堂と呼ばれる四室も正庁に隣接しています。

至善堂

至善堂は藩主の控室や子弟の学習の場として使われました。現在は要石歌碑の碑文が掲げられています。

鹿島神社

鹿島神社は常陸一の宮で、神殿は再建されたものです。

種梅記碑

種梅記碑は梅の由来を記した碑石で、梅の鑑賞や梅干しの製造などが記されています。

弘道館記碑

弘道館記碑は斉昭自筆の『弘道館記』を刻んだ石碑で、八卦堂内に設置されています。

要石歌碑

要石歌碑は鹿島神社の近くにあり、斉昭の歌が刻まれています。また、その写しは至善堂に掛けられています。

文化財としての弘道館

弘道館は、江戸時代後期に日本の水戸藩に建てられた藩校であり、茨城県水戸市三の丸に位置しています。現在の敷地は都市公園として利用されており、弘道館公園として整備されています。旧弘道館の一部は国の特別史跡に指定され、正庁、至善堂、正門は重要文化財に指定されています。敷地面積は約10万5千平方メートルで、藩校としては全国最大の規模でした。

震災後の復元と保護

2011年の東日本大震災で被害を受けましたが、修復が行われ、2013年には弘道館記碑の修復が完了しました。また、2019年には北柵御門や土塁、通路が復元され、見学会が開催されました。弘道館は、水戸市内の文化財としても重要であり、2015年には文化庁によって日本遺産「近世日本の教育遺産 ―学ぶ心・礼節の本源―」の一部として認定されました。

訪問の際の見どころ

梅まつりと季節のイベント

弘道館を訪れる際には、特に梅まつりの時期がおすすめです。約800本の梅が満開になり、美しい景色を楽しむことができます。また、季節ごとに様々なイベントが開催され、多くの人々が訪れます。

館内の散策

館内を散策する際には、徳川斉昭や徳川慶喜の歴史に触れながら、当時の雰囲気を感じ取ることができます。特に展示品や建物の保存状態は良好で、歴史好きにはたまらない場所です。

歴史と教育の融合

弘道館は、教育と歴史が融合した場所であり、訪れる人々に多くの学びを提供します。その歴史的背景や教育理念を理解することで、当時の日本社会や文化について深く知ることができるでしょう。

まとめ

弘道館は、水戸藩の教育機関として徳川斉昭によって創設された歴史的な藩校であり、現在もその遺産を後世に伝えています。教育を通じて社会の安定と国家の発展を目指した徳川斉昭の理念は、現代の教育にも通じるものがあります。訪れる人々は、弘道館の歴史的価値を理解し、その教育理念に触れることで、当時の日本社会や文化について深く学ぶことができます。

Information

名称
水戸藩校 弘道館
(みとはんこう こうどうかん)
リンク
公式サイト
住所
茨城県水戸市三の丸1-6-29
電話番号
029-231-4725
営業時間

2月20日~9月30日 9:00~17:00
10月1日~2月19日 9:00~16:30

定休日

12月29日~12月31日

料金

大人 400円
小中学生 200円
シルバー(70歳以上) 200円

駐車場
無料 13台
アクセス

電車:JR「水戸駅」より徒歩約8分

車:常磐自動車道 水戸ICより約30分

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