御祭神
主祭神
大杉神社の主祭神は、倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)です。 この神は、日本の古代信仰において重要な役割を担う神であり、特に農業や商業、開運の神として広く崇敬されています。
配祀神
- 大己貴命(おおなむちのみこと)
- 少彦名命(すくなひこなのみこと)
これらの神々は、もともとは大神神社(奈良県)に祀られていた倭大物主櫛甕玉命と同じ系統の神とされています。 仁治2年(1241年)に今宮神社から大己貴命と少彦名命の二柱が勧請・合祀され、現在の祭神構成となりました。
神木としての大杉
大杉神社の社名の由来ともなったのが、境内にそびえる「大杉」です。 かつては「太郎杉」「二郎杉」「三郎杉」の三本杉が存在しましたが、太郎杉は安永7年(1778年)に焼失しました。 その後も二郎杉・三郎杉は神木として崇められ、多くの参拝者が訪れます。
天狗信仰
大杉神社には、「鼻高天狗」と「烏天狗」に対する信仰もあります。 これは、文治年間(1185~1189年)に、源義経の家来である常陸坊海尊が、大杉大明神の神徳によって数々の奇跡を起こしたことに由来します。
その姿が天狗に似ていたため、天狗信仰が生まれ、次のような役割分担がされるようになりました。
- 鼻高天狗(ねがい天狗): 願い事を届ける役割
- 烏天狗(かない天狗): 願いを成就させる役割
こうした信仰から、大杉神社は「日本唯一の夢むすび大明神」とも称されるようになりました。
大杉神社の歴史
古代の信仰と「あんば」
大杉神社のある「あんば」の地は、律令制以前の国造制下では「菟上之国(海上国)」に属していました。 そのため、大杉神社は菟上国造を祀るもっとも重要な神社とされています。
阿波の地形と信仰
上古の阿波地域は、霞ヶ浦(西浦)と利根川流域の低地部に広がる「榎浦流海」に挟まれた半島でした。 さらに、その北東には「浮島」と呼ばれる地が存在していました。 阿波は、阿波崎と須賀津に囲まれた内湾(霞ヶ浦の甘田入)の奥部に位置し、ここに生えていた巨杉が漁民の守護神として崇敬されました。 また、この巨杉は内海の航路標識としての役割も果たしていたと考えられています。
『常陸国風土記』における記述
『常陸国風土記』には、大杉神社が鎮座する阿波地域に関連する地名が登場します。
- 「乗濱(のりはま)」: 倭武天皇(日本武尊)が巡幸した際に名付けられたとされる
- 「安婆之島(あんばのしま)」: 建借間命(たけかしまのみこと)が宿営した場所として記述されている
これらの地名は、大杉神社のある阿波周辺が古くから重要な拠点であったことを示しています。
創建と僧・勝道の伝説
大杉神社の創建は、神護景雲元年(767年)と伝えられています。
「大杉神社略縁起」によると、僧・勝道が日光へ向かう道中に当地を訪れた際、疫病が流行していることを知り、 巨杉を神籬(ひもろぎ)として大神神社の三輪明神を鎮座させ、祈願を行ったところ、人々が救われたとされています。 これにより、大杉神社は「悪魔ばらえのあんばさま」として信仰されるようになったと言われています。
安穏寺との関係
延暦15年(796年)、または延暦24年(805年)には、延暦寺の快賢阿闍利が悪路王(高丸)降伏を祈願したとされます。 これに伴い、弥勒菩薩を本尊とする安穏寺が創建され、その境内に「大杉大明神」の社殿が建てられました。
中世から近世
元暦・文治年間(1184-1190年)、常陸坊海尊が大杉大明神の化身もしくは神使とされる伝承が残っています。仁治2年(1241年)には、京都の今宮神社から大己貴命と少彦名命の二柱を勧請し、合祀しました。
応仁の乱(1467-1477年)の際、神領が掠奪されましたが、慶長年間(1596-1615年)には徳川幕府より安穏寺に領地20石が安堵され、諸役免除の朱印が下付されました。また、天海僧上の命により別当職を兼任することとなり、以後は東叡山寛永寺の支配下に置かれました。
享保10年(1725年)には「あんば囃子」が始まり、その流布とともに疱瘡除けや水上交通の神として、関東一円と東北の太平洋側に信仰が広がりました。「あんばさま」は、千葉県から東北地方にかけての太平洋岸の漁村で信仰されている神として知られています。
しかし、寛政10年(1798年)と享和2年(1802年)に火災に見舞われ、社寺ともに焼失しました。文化10年(1813年)、度重なる火災により再建が困難となった際、輪王寺九世の宮・女心院一品公延法親王から金千両の下賜を受け、再興されました。文化13年(1816年)に遷座が行われ、現在の社殿が完成しました。
明治以降
明治維新後、神仏分離により安穏寺を廃し、社務所としました。明治6年(1873年)には村社に列格し、その後郷社に昇格しました。昭和57年(1982年)には神社本庁の別表神社となり、平成8年(1996年)からは平成の大造営として造立営繕事業を開始。平成18年(2006年)には社殿(大杉殿)の復元工事が竣工しました。
境内社
大杉神社の境内には以下の摂末社が鎮座しています。
- 大国神社:祭神 - 大国主命・事代主命
- 五十瀬神社:祭神 - 天照大御神
- 白山神社:祭神 - 菊理媛命
- 四柱神社:祭神 - 天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神・天照大御神・神直日神・大直日神
- 天満宮:祭神 - 菅原道真公
- 稲荷神社(正一位立身出世最勝稲荷大明神):祭神 - 保食命
- 勝馬神社:祭神 - 不詳
- 相生神社
勝馬神社について
境内南東に位置する「勝馬神社」は、古名を「馬櫪社」といい、平安時代の貞観4年(862年)に美浦村信太の信太馬牧で馬体守護のために創祀されたと伝えられています。現在は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンターの関係者や競馬ファンからの信仰を集めています。社前には多数の蹄鉄が奉納されており、「勝ち馬守り」「馬蹄絵馬」「たてがみ御守」といった御守も頒布されています。
大杉神社は、その長い歴史と豊かな伝承を持つ、地域に深く根付いた神社です。ぜひ一度足を運んで、その歴史と文化に触れてみてはいかがでしょうか。