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北条米

(ほうじょうまい)

筑波山麓が育む幻の献上米

北条米は、茨城県つくば市の筑波山山麓で生産される特別栽培米です。昭和初期には皇室への献上米として知られ、その味と品質は現在も高く評価されています。主な品種はコシヒカリで、日本穀物検定協会の食味ランキングでは最高ランクの「特A」を獲得するほどの実力を誇ります。

北条米の特徴

筑波山の恵みを受けた水と土

北条米の美味しさの秘密は、筑波山から湧き出る清らかな水と、花崗岩由来の豊富なミネラルを含む土壌にあります。筑波山の南西山麓に広がる「桜川低地」は標高10〜20メートルの平坦な地形で、筑波山由来のミネラルをたっぷり含んだ水が流れ込むことで、米に独特の旨味をもたらします。

昼夜の寒暖差が生む甘み

北条米が特に美味しい理由の一つが、登熟期(穂が成熟する時期)の昼夜の寒暖差です。昼間は暖かく、夜は冷え込むことで、米のデンプン合成が促され、甘みが増します。この気候条件が、粘りと弾力のある美味しい米を育てるのです。

有機農法とこだわりの管理

北条米の一部の栽培農家では、レンゲソウを利用した「緑肥」による有機農法を取り入れています。さらに、収穫後の玄米は冷蔵倉庫で適切に保管され、精米は生産者が自ら行い、一切ブレンドしないという徹底した品質管理が行われています。これにより、一粒一粒が北条米本来の味わいを最大限に引き出されています。

北条米の歴史

戦前の献上米としての評価

北条米はその食味の良さから、昭和初期には皇室への献上米として選ばれました。また、戦前から米穀業界でも高く評価され、「冷めても美味しい米」として広く知られていました。この頃、北条の米は「マル北米」としてブランド化され、関東の逸品として流通していました。

戦後の発展とブランド米としての確立

戦後、日本全体で米の増産が進められる中、北条米も品質を維持しながら生産が続けられました。特に、減反政策が始まった後も、北条米の品質の高さから一定の需要が保たれ、販路に困ることはありませんでした。その後、地域ブランド米としての評価が定着し、「筑波北条米」や「小田北条米」として商標登録されるに至りました。

北条米を活かした地域活性化

商店街の活性化と「米(マイ)コミュニティ構想」

北条米は、単なるブランド米としてだけでなく、地域活性化の鍵としても活用されています。その代表的な取り組みが「米(マイ)コミュニティ構想」です。この構想のもとで、新たな商品開発やイベントが行われています。

北条米スクリーム 〜米を使ったアイスクリーム〜

北条米の美味しさを広めるために開発された「北条米スクリーム」は、米を使ったアイスクリームです。滑らかな食感とほんのりとした甘みが特徴で、地域の特産品として人気を集めています。

地域通貨「マイス」の導入

「米本位制」をコンセプトにした地域通貨「マイス」が試験的に導入されました。北条米を基準としたこの通貨は、地域の商店街で使用することができ、地域経済の活性化に寄与しました。

北条市(ほうじょういち)の開催

地域の農産物や特産品を販売する「北条市」が定期的に開催され、北条米を中心とした食文化の発信の場となっています。訪れる人々に北条米の魅力を伝えるとともに、地域の商店街の賑わいづくりにも貢献しています。

北条米の安全性と今後の展望

放射性物質検査での安全確認

2011年の福島第一原子力発電所事故の影響で、放射性物質による食の安全性が懸念されましたが、北条米からは一切の放射性物質が検出されませんでした。これにより、安心して食べられるブランド米として、さらなる信頼を得ることとなりました。

自然災害からの復興

2012年には北条地区が竜巻の被害を受け、一部の田んぼが瓦礫に覆われるなどの被害を受けました。しかし、地元農家の努力により早期復興が進められ、北条米の生産は継続されています。地元の人々の「良い米を作り続けたい」という強い想いが、北条米の品質を守り続けています。

まとめ

北条米は、筑波山の恵みを受けた豊かな自然環境の中で育まれ、古くから高品質な米として知られてきました。昭和初期には皇室献上米としての歴史を持ち、現在でも「特A」ランクを獲得するなど、全国的に評価されています。さらに、地域活性化の取り組みを通じて、単なるブランド米にとどまらず、地域の象徴としての役割も担っています。

これからも、北条米の伝統と品質を守りながら、新たな可能性を探る取り組みが続いていくことでしょう。ぜひ一度、北条米の美味しさを味わってみてはいかがでしょうか。

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名称
北条米
(ほうじょうまい)

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