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霞ヶ浦

(かすみがうら)

自然と人との歴史が織りなす日本の大湖

茨城県南東部に広がる霞ヶ浦は、日本第2位の広さを誇る湖で、その面積は約220平方キロメートルです。琵琶湖に次ぐ広大な湖沼として、日本国内で非常に重要な自然資源の一つです。

霞ヶ浦は、西浦、北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)、北利根川、鰐川、常陸川の各水域の総体を指し、一部は千葉県北東部にも跨がっています。河川法では、これらの水域を「常陸利根川」という利根川の支川として扱っています。

霞ヶ浦の構成要素と特徴

霞ヶ浦は、その名称が示すように、西浦、北浦、常陸利根川を含めた広域の湖沼です。北浦には鰐川を含み、常陸利根川は北利根川、外浪逆浦、常陸川の3つを合わせた呼び方です。霞ヶ浦全体の面積は220平方キロメートルに及び、日本国内では琵琶湖に次ぐ第2位の広さを誇ります。また、平均水深は約4メートルで、広大でありながら浅い湖という特徴があります。

干拓と農業の発展

霞ヶ浦では、湖面積の約1割にあたる2,660ヘクタールが歴史的に干拓されてきました。現在でも、霞ヶ浦周辺は有数の穀倉地帯であり、茨城県内の水稲栽培が全国第5位に位置する要因となっています。また、湖周辺では特産品のレンコンの出荷量が日本一を誇り、農業が非常に盛んです。

霞ヶ浦の観光とレジャー

釣りやヨット、ウォータースポーツ

霞ヶ浦は、その広大な水域を活かして、釣りやヨット、水上オートバイなどのレジャーが楽しめるスポットとして知られています。湖面には遊覧船や観光帆曳船が運航されており、訪れる観光客に素晴らしい景色と体験を提供しています。特に、日本百景にも選定されており、その美しい水郷景観は高度成長期以前から多くの観光客を引き寄せていました。湖岸には多くの観光スポットが点在しています。

遊覧船

ラクスマリーナ「ホワイトアイリス号」

ラクスマリーナから出航し、桜川河口沖、霞ヶ浦総合公園沖、予科練沖、防衛技研沖、三又沖、筑波山展望、霞ヶ浦町(旧出島)川尻沖、沖宿沖を巡り、再びラクスマリーナに戻る定期遊覧コースが人気です。季節限定の航路もあり、土浦港から潮来港や玉造ふれあいランド前桟橋を結ぶルートも運航されています。

常陽観光「ジェットホイルつくば号」

土浦港から旧予科練沖、美浦村沖、かすみがうら市沖を経由して再び土浦港に戻るルートを運航しています。特に水郷潮来あやめまつり期間中には、特定日には土浦港から前川あやめ園までの便も運航され、多くの観光客が訪れます。

観光帆曳船

霞ヶ浦の観光帆曳船は、夏から秋にかけての金曜日、土曜日、日曜日、祝日のみ運航されています。この伝統的な船は、霞ヶ浦の風景を象徴する存在であり、風を受けて進む姿は観光客に感動を与えます。

西浦湖畔の観光スポット

霞ヶ浦の周辺には、魅力的な観光スポットが数多く存在します。

小美玉市

小美玉市では、2023年から10月第1土曜日に「おみたま花火大会」が湖畔の大井戸湖岸公園周辺で開催される予定です。打ち上げ数は5,000発を予定しており、多くの観光客が訪れるイベントとなるでしょう。

行方市

行方市では、毎年8月に湖畔の天王崎公園で「サンセットフェスタIN天王崎」が開催されます。このイベントは、市内外の団体や個人から寄付を受けて運営されており、夕方から夜にかけてステージ上でのイベントや湖上花火大会が行われます。打ち上げ数は約5,000発で、毎年1万人前後が訪れる人気イベントです。

かすみがうら市

かすみがうら市では、観光帆引き船が7月から11月までの毎週日曜日に運航されています。また、5月のゴールデンウイークには「帆引きフェスタ」が開催され、多くの人々が訪れます。霞ヶ浦市水族館や、サイクリングで湖畔を一周できる「つくば霞ヶ浦りんりんロード」も整備されており、ナショナルサイクルルートにも指定されています。

土浦市

土浦市では、4月中旬に霞ヶ浦湖畔で開催される「かすみがうらマラソン」が有名です。このマラソン大会は、ランナー数が2万6千人を超え、日本第2位の規模を誇ります。また、7月の海の日には「泳げる霞ヶ浦市民フェスティバル」が開催され、家族連れや観光客で賑わいます。さらに、7月中旬から10月中旬までの金、土、日、祝日には観光帆曳船も運航されており、多くの人々がその美しい風景を楽しんでいます。

稲敷市

稲敷市には、チューリップの名所として知られる「和田公園」があります。春には色とりどりのチューリップが咲き誇り、多くの観光客が訪れます。

北浦湖畔の観光スポット

北浦湖畔にも魅力的な観光スポットが点在しています。

鹿嶋市花火大会

鹿嶋市では、毎年夏に開催される「鹿嶋市花火大会」があります。この花火大会は、湖面に映る美しい花火が見どころで、多くの観光客が訪れます。

霞ヶ浦の生物相

霞ヶ浦は、その豊かな自然環境から、多様な生物が生息しています。しかし、霞ヶ浦周辺は筑波山隗を除くとほとんどが台地と低地で構成される平地であり、古くから農耕地の開発が進んだため、一部の生物はその影響で姿を消してしまいました。一方で、クヌギやコナラ、アカマツなどを主体とする二次林や、農地、小川、湧水、ため池、そして住居などを含む人々の生活空間が共存する里山のような環境が残っており、これらの環境で生きる生物たちは豊かに育まれています。特にオオタカやフクロウといった猛禽類は、その食物連鎖の中で重要な役割を果たしています。

植物:霞ヶ浦の水生植物群落

霞ヶ浦は勾配が緩やかな浅い水域が特徴で、陸から水面へと向かう「水辺」には、抽水(挺水)植物(ヨシやマコモなど)、浮葉植物(ヒシやアサザなど)、沈水植物(クロモなど)といった多様な植生帯が発達していました。これらの水生植物群落は、霞ヶ浦周辺の生態系において非常に重要な役割を果たしており、動物たちにとっての産卵場所や生息場所となっています。

しかし、霞ヶ浦の環境は近年大きな変化を遂げました。富栄養化の進行により透明度が悪化し、沈水植物が光合成を行えなくなり、生育が困難となっています。また、湖岸のコンクリート護岸化によって植生帯が物理的に失われることや、激しい風浪による洗掘と侵食が発生するようになりました。これらの要因が相まって、霞ヶ浦の植生帯は大きく減少しています。それでも、妙岐ノ鼻(浮島湿原)のようにヨシ原が比較的多く残る場所では、多くの鳥類を筆頭に生物が貴重な住処として利用しており、植物群落が生物にとっていかに重要であるかを示しています。

植物プランクトンの影響

霞ヶ浦における植物プランクトンの存在も無視できない要素です。特にアオコのような植物プランクトンが大量に発生すると、その後の遺骸の分解により湖水が酸欠状態となり、生物の大量死を招くことがあります。また、植物プランクトンの種類や発生状況は、動物プランクトンやそれを食べる甲殻類、魚類などの動向にも大きな影響を与えています。

鳥類:霞ヶ浦の豊かな鳥類相

霞ヶ浦は、長い湖岸線を持ち、葦原などの湖岸植生帯が発達しているため、多くの鳥類が生息しています。サギ、ガン、カモ、クイナ、シギ、チドリなど、多様な鳥類が霞ヶ浦を生息地や渡りの途中の中継地として利用しています。

現在の湖岸では、葦原が大幅に減少してしまいましたが、夏になるとオオヨシキリがさえずり、ツバメなどのねぐら入りの光景が見られます。また、妙岐ノ鼻のように広い葦原が残っている場所では、サンカノゴイなどの希少なサギ類やオオセッカ、チュウヒといった猛禽類が生息しており、これらの地域は貴重な鳥類の生息地となっています。さらに、オオヒシクイの飛来する江戸崎は、関東地方に残されたガンの定期飛来地として非常に貴重な存在です。

魚類・甲殻類:霞ヶ浦の生産性とその変遷

霞ヶ浦はもともと遠浅でプランクトンが豊富に育つ環境を持ち、また、海との交流があったため、生産性が高く、魚類や甲殻類が豊富な湖として知られていました。ワカサギやシラウオ、コイなどの魚は霞ヶ浦の名産品として広く知られ、人々の生活や文化に深く結びついていました。

しかし、霞ヶ浦の水質が著しく汚染され、さらに外来種が侵入したことにより、これらの在来種は大きな打撃を受けました。ワカサギやシラウオ、ハゼ類(ゴロ)、テナガエビなどの漁獲量は近年減少しており、かつて普通に見られたキンブナも姿を消すのではないかと懸念されています。また、スズキやウナギのように海との交流が生んだ魚種も減少し、霞ヶ浦の魚類相はかつての姿を大きく変えています。

タナゴ類の減少と外来種の影響

霞ヶ浦におけるタナゴ類は、産卵母貝となる二枚貝類の減少により大幅に数を減らしています。タナゴ、アカヒレタビラ、ヤリタナゴはいずれも減少が著しく、かつて多産していたゼニタナゴは絶滅したと考えられています。タナゴ類は今や外来種であるタイリクバラタナゴやオオタナゴに押され、特にオオタナゴは2000年頃から急増し、現在では霞ヶ浦全域で優占種となっています。一方、琵琶湖から移入されたカネヒラは、近年減少傾向にあります。

昆虫類:霞ヶ浦周辺の昆虫相

霞ヶ浦周辺にはかつて、ため池や水田が多く存在し、そのため無数のトンボが飛び交う姿が見られました。また、ゲンゴロウやマツモムシなどの水棲昆虫も多く生息していましたが、現在ではその数を大幅に減少させています。しかし、今でも小野川周辺のヨシ原や、妙岐ノ鼻、潮来市の水郷トンボ公園などではトンボや小型の水棲昆虫が多く見られます。

貝類:霞ヶ浦の貝類相とその変遷

江戸時代初期までは、霞ヶ浦には海産の貝類が生息していましたが、その後の淡水化に伴い、貝類も淡水産のものへと移行していきました。1963年に常陸川水門が竣工したことで、淡水化が決定的となり、汽水産のヤマトシジミは姿を消しました。

霞ヶ浦周辺の水田にはオオタニシ、ヒメタニシ、マルタニシが生息しており、比較的汚れた水域にはモノアラガイやサカマキガイ、きれいな流入河川にはカワニナが見られます。また、マシジミなどは用水路でも採取され、貴重な自然の恵みとして利用されてきました。

霞ヶ浦の二枚貝類の現状

現在、霞ヶ浦で見られる二枚貝類は減少しており、カラスガ イやイケチョウガイなどのタンカイと呼ばれる貝類はその生息が非常に希薄となっています。イシガイやマツカサガイは辛うじて流入河川や水通しの良い場所に生息していますが、その数は少なく、霞ヶ浦の生態系における二枚貝類の減少が深刻な問題となっています。これらの減少の原因として、富栄養化によるプランクトンの変化や、湖底付近の酸欠状態が挙げられます。

さらに、シジミについては、マシジミに代わってタイワンシジミや中国産のシジミが増加しており、これらは水産会社によって移入されたと考えられています。また、通称「ジャンボタニシ」と呼ばれるスクミリンゴガイも一部で発見されており、霞ヶ浦の生態系に新たな影響を与える可能性があります。

漁業と地域産業

霞ヶ浦では古くから豊かな漁業が行われ、大徳網や帆引き網などの漁法が用いられてきました。現在でも、霞ヶ浦は全国湖沼漁獲量の約6%を占める重要な漁業地帯です。漁獲される主な魚種にはワカサギ、シラウオ、コイ、フナ、ウナギ、アユなどがあり、特にエビやイサザアミは漁獲量が多く、ワカサギやシラウオは付加価値の高い魚種として重要視されています。

霞ヶ浦の地理的な位置と気候

霞ヶ浦は、平野部に位置するため流域面積が広く、茨城県の面積の約35%を占めます。湖面の水際線延長は249.5キロメートルに及び、日本最大の湖である琵琶湖を超える長さです。平均水深は約4メートル、最大水深は約7メートルで、年間流下量は約14億立方メートル、貯留量は約8.5億立方メートルとなっています。

歴史的背景と名前の由来

霞ヶ浦の名称と歴史

国土地理院の『標準地名集(自然地名)』では「ケ(大文字)」を用いて「霞ケ浦」と表記されていますが、地名としては「霞ヶ浦」が一般的です。古代には「流海」(ながれうみ)や「浪逆の海」(なさかのうみ)と呼ばれ、中世に入ってからは和歌に詠まれる「霞の浦」として知られるようになりました。「霞ヶ浦」と呼ばれるようになったのは江戸時代からであり、それ以前は「内の海」として鹿島灘の「外の海」に対する内陸の海として認識されていました。

霞ヶ浦の語源と伝承

霞ヶ浦の名前の由来には諸説ありますが、『常陸国風土記』に記載された「香澄(かすみ)の里」に由来するとされています。景行天皇が臣下に対して「青い波が漂う海と、赤色の霞がたなびく陸が見える」と語ったことが、名称の一因とされていますが、正確な命名時期や命名者については不明です。

霞ヶ浦の漁業と水産資源

伝統的な漁法と漁業の変遷

霞ヶ浦では、古くから大徳網や帆引き網などの伝統的な漁法が用いられてきましたが、近年では漁獲量の減少が課題となっています。特に、かつては豊富に漁獲されていたワカサギやシラウオなどが、環境変化や外来種の侵入により減少傾向にあります。

外来種の影響と対応策

近年、霞ヶ浦ではブラックバスやアメリカナマズなどの外来種が増加し、在来種の生態系に悪影響を与えています。茨城県では、こうした外来種を用いた養殖飼料や有機肥料の製造を進め、漁業資源と生態系の保全を図っています。

霞ヶ浦の水質問題と改善策

水質汚濁の現状

霞ヶ浦は、上水道や農業用水、工業用水の水源として利用されていますが、近年その水質は悪化しています。特に、化学的酸素要求量(COD)や総窒素・総リンなどの指標が示す通り、富栄養化が進行し、透明度も低下しています。また、アオコの大発生やシジミの大量死など、水質汚濁が深刻な問題となっています。

水質浄化の取り組み

霞ヶ浦の水質改善のため、底泥の浚渫事業や下水道整備などの取り組みが行われています。特に、底泥の浚渫は窒素やリンを除去し、湖底の水質を改善することを目的としています。しかし、これらの対策だけでは限界があり、持続可能な水質改善にはさらなる取り組みが求められています。

霞ヶ浦の歴史的背景と近代以降の変遷

近代以前の霞ヶ浦

霞ヶ浦の形成は、約12万年前の下末吉海進と呼ばれる時代にさかのぼります。当時、霞ヶ浦周辺は古東京湾の海底であり、その後の氷期や地殻変動により徐々に陸地化が進み、現在の地形が形成されました。縄文海進の時期には、霞ヶ浦周辺に多くの貝塚が形成され、古代から人々がこの地域に住んでいたことが窺えます。

平安時代から室町時代にかけて、霞ヶ浦周辺では香取神宮や鹿島神宮に関連する文書に「海夫」と呼ばれる漁業民が記されています。彼らは神祭物を納める代替として漁業や水運の特権を享受していました。中世には、常陸大掾氏がこの地域を支配し、戦国時代には佐竹氏がその勢力を南下させ、霞ヶ浦周辺を掌握しました。

近代の開発と戦後の変化

江戸時代には、利根川東遷事業が進められ、霞ヶ浦周辺の水運が発展しました。また、近代には蒸気船の就航や干拓事業が進み、農業や漁業が大きく変化しました。特に、1916年には霞ヶ浦湖畔に大日本帝国海軍の航空施設が建設され、霞ヶ浦航空隊が設置されました。この時期には、ドイツの飛行船ツェッペリン伯号や、チャールズ・リンドバーグ夫妻が霞ヶ浦を訪れ、地域の歴史に新たなページを刻みました。

戦後の開発と現代の課題

戦後、日本は高度経済成長期に突入し、霞ヶ浦への利水や治水の要請が高まりました。これに応じて、霞ヶ浦開発事業が進められ、利水や治水のための大規模なインフラ整備が行われました。しかし、その一方で、富栄養化による水質汚濁が進行し、漁業資源の減少や生態系の変化が深刻な問題となっています。

1987年には霞ヶ浦大橋が開通し、湖の両岸を結ぶ交通インフラが整備されましたが、漁業や水質の悪化に対する取り組みは未だ途上にあります。現代の霞ヶ浦では、持続可能な自然環境の保全と、地域の発展を両立させるための新たな課題が浮上しています。

まとめ

霞ヶ浦は、その広大な面積と豊かな自然環境に恵まれ、古代から現代に至るまで重要な役割を果たしてきました。農業や漁業、観光など多岐にわたる利用がなされる一方で、環境問題や外来種の侵入による生態系の変化など、多くの課題にも直面しています。今後も、霞ヶ浦の自然環境を保護しつつ、地域の持続可能な発展を目指す取り組みが求められています。

Information

名称
霞ヶ浦
(かすみがうら)

鹿嶋・霞ヶ浦

茨城県